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2026年03月28日(土) 20時04分 byくし
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前原浅間神社は新田義貞の忠臣中野藤内左衛門景春ゆかりの神社です。 中野氏のおこりは文永二年(1265)新田一族の大島次郎景継が佐貫庄中野郷に塁を築き、中野氏を称したのに始まります。景継は中野城を整備するとともに、新田大島の八幡山から八幡宮を勧請して鎮守とし片岡(前原、蛭沼、篠塚北部、藤川東部)の住民を移して元宿とし、箱田(光善寺)から移住させて上宿、下宿とするなど郭づくりと城下集落の形成を進めました。 また景継には男子が生れなかったので、駿河国富士山本宮浅間大神に祈願をおこしましたところ、弘安十年満願の日に男子が出生しました。そこで景継は二人の家臣を富士山に登らせ、中野城の西南に当る前原にその分霊を祀りました。これが前原浅間神社です。 中野景継の嫡男として生れた景春は、新田方の武将として活躍し、延元三年(1338)新田義貞が燈明寺畷において戦死すると、景継も殉死しました。景春五十二歳、老練知略の武将でした。
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前原浅間神社は新田義貞の忠臣中野藤内左衛門景春ゆかりの神社です。 中野氏のおこりは文永二年(1265)新田一族の大島次郎景継が佐貫庄中野郷に塁を築き、中野氏を称したのに始まります。景継は中野城を整備するとともに、新田大島の八幡山から八幡宮を勧請して鎮守とし片岡(前原、蛭沼、篠塚北部、藤川東部)の住民を移して元宿とし、箱田(光善寺)から移住させて上宿、下宿とするなど郭づくりと城下集落の形成を進めました。 また景継には男子が生れなかったので、駿河国富士山本宮浅間大神に祈願をおこしましたところ、弘安十年満願の日に男子が出生しました。そこで景継は二人の家臣を富士山に登らせ、中野城の西南に当る前原にその分霊を祀りました。これが前原浅間神社です。 中野景継の嫡男として生れた景春は、新田方の武将として活躍し、延元三年(1338)新田義貞が燈明寺畷において戦死すると、景継も殉死しました。景春五十二歳、老練知略の武将でした。 ―――――――――――――― 【阿夫利様祭り】 浅間神社前の前原公民館で行われる、邑楽町周辺で広く信仰された大山阿夫利講の、現代まで残った五ヶ所の祭りの一つ。 お盆を控え、7月25日に先祖の霊をお迎えする灯篭を設置する。
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6月1日 初山 8月21日 火祭り
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6月1日 初山祭り 7月25日 阿夫利様祭り 8月21日 火祭り