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楽しみ方菅神廟のお参りの記録一覧
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今回、群馬は日向北辰講社だけ参拝し、すぐに栃木側に戻って、次は観音寺の北にある古墳上の小社に行きました。
中日向古墳群の一つ、高松天神山古墳という一辺30mの方墳上にある天神様です。
なぜか一般的な天満宮や天神社といった名前でなく、儒教・道教風の「菅神廟」という社名となっている🇰🇷🇨🇳
神社の創建年代は不明ですが、扁額は安政年間のものだそうなので、少なくとも江戸時代後期にはこう呼ばれていたらしい・・・
相変わらずここも古墳系サイトは多数ヒットするものの、社寺系サイトはほぼ皆無で由緒は全く解りませんでした💫
最初に載せた写真の石碑にある扶桑教の小教正とか、少し前に取り上げた、近くの久武大神宮の創建者などを見るに、この辺り神道家とか国学者みたいな「田舎の小インテリ」が多かったようなので、そういう人が気取って漢籍風の名前を着けたんじゃないかと思いますwww
ちなみに小教正というのは、明治政府が神道国教化を目指してた時に、国が神官や僧侶などに与えた「教導職」という官使の位階だそうで、小教正というのは15ある位階の上から5番目と結構上位らしい😳
ちなみに教導職は宗教家だけでなく、落語家や歌人・俳人など、故事や古典に通じてる人が任命されたそうです。
この辺りは古墳群ということもあってか、路傍の石仏や祠なども非常に多く、古代からある種のパワースポットと見なされてたのかもしれません。
そういう環境に感化されて、多くの神道家や、八形まもり観音のような独自の信仰を持つ一族が生まれたのかもしれませんね🙏

天神山古墳近くの、とある民家の入口にあった石祠と大きな石碑
扶桑教の富士四十度登拝記念碑なので、祠は浅間神社らしい
川島姓が刻まれてるので、すぐ南にある高松城の川島氏子孫と思われる

少し先の自治会館横にもお堂か小社あり
資料は全く見つからず、何を祀っていたかは不明💫
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