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2026年03月29日(日) 14時30分 byくし
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資料が見つからず詳細不明。 邑楽町と館林市の境界付近に鎮座している。 Google、Yahoo、Mapion、ゼンリン地図を参照したが、ゼンリンだけは所在地が館林側となっていた。 地図によって境界線がバラバラのため、何度か境界変更があったのかもしれない。 境内は南北に長く、鳥居と長い参道があるが、社殿は赤い柵に囲まれた石祠のみ。 「元八幡宮之◯」と彫られた石柱が建っており、また神社の様子から、明治43年の大合祀で中野の郷社長良神社に合祀されてしまった神社ではないかと思われる。 唯一、祭礼の情報のみが出てきたが、それによると「開拓八幡神社」とも呼ばれているらしいので、通称として登録した。 4月と10月に例祭があるが、氏子が境内の清掃と注連縄を交換。集会所にて飲食後に氏子をお札を配布するだけとのこと。 ―――――――――――― 【館林開拓団】 「開拓八幡神社」の云われについて興味深い資料が見つかったので追記します。 この辺りはもともとは大谷原官有林という山林原野であったが、大正八年に開拓が開始された。 ところが太平洋戦争の勃発により、開拓地が長柄・六郷・多々良村に跨がる陸軍館林飛行場に転用される。 終戦後の食料増産と、復員兵・引揚者・戦災者らの新村建設のため、飛行場跡地に再入植。 入植後20周年を期して、開拓記念碑を八幡宮境内に建立したそうです。
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資料が見つからず詳細不明。 邑楽町と館林市の境界に鎮座している。 Google、Yahoo、Mapion、ゼンリン地図を参照したが、ゼンリンだけは所在地が館林側となっており、また地図によって境界線にバラつきがあるため、何度か市境変更があったのかもしれない。 境内は南北に細長く鳥居と長い参道があるが、社殿は赤い柵に囲まれた石祠のみ。 以前は参道が桜並木になっていたが、現在はほとんど伐採されてしまったようで開けた感じになっている。 4月と10月に例祭もあるそうだが、氏子による境内の清掃と注連縄交換。あとは集会所で飲食を行いお札を配布するだけらしい。 ―――――――――――― 【開拓の地名由来】 この辺りは邑楽町赤堀字開拓と言い、この神社は開拓八幡神社や開拓八幡宮とも呼ばれているらしい(通称として登録) この辺りはもともとは大谷原官有林という山林原野であったが、大正8年から開拓が開始された。 ところが太平洋戦争の勃発により、この開拓地も含む館林・邑楽に跨がる地域が接収され、昭和13年に館林陸軍飛行場が建設される。 しかし敗戦とともに飛行場は廃止。終戦後の食料難に対する早急な食料増産の必要と、復員兵・引揚者・戦災者らのための新村建設のため、飛行機跡地への再入植が始まる。 入植後20周年を期して、八幡宮境内に開拓記念碑を建立した。 ―――――――――― 【元八幡宮之地】 石祠の前には「元八幡宮之地」と彫られた石柱が建っている。 上記のような経緯と神社の様子から、おそらく昭和13年の飛行場建設時に、一度どこかに遷座されたか他の神社に合祀されたものと思われる。 戦後またこの場所に祀り直されたのか、そのままになって元宮だけ残されているのかは不明。
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もと開拓地に建つ八幡宮 戦中・戦後の混乱で数奇な運命をたどった神社らしい
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石祠
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