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2026年03月27日(金) 07時49分 byくし
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資料が見つからず詳細不明。 邑楽町と館林市の境界付近に鎮座している。 Google、Yahoo、Mapion、ゼンリン地図を参照したが、ゼンリンだけは所在地が館林側となっていた。 地図によって境界線がバラバラのため、何度か境界変更があったのかもしれない。 境内は南北に長く、鳥居と長い参道があるが、社殿は赤い柵に囲まれた石祠のみ。 「元八幡宮之◯」と彫られた石柱が建っており、また神社の様子から、明治43年の大合祀で中野の郷社長良神社に合祀されてしまった神社ではないかと思われる。 唯一、祭礼の情報のみが出てきたが、それによると「開拓八幡神社」とも呼ばれているらしいので、通称として登録した。 4月と10月に例祭があるが、氏子が境内の清掃と注連縄を交換。集会所にて飲食後に氏子をお札を配布するだけとのこと。
編集後
資料が見つからず詳細不明。 邑楽町と館林市の境界付近に鎮座している。 Google、Yahoo、Mapion、ゼンリン地図を参照したが、ゼンリンだけは所在地が館林側となっていた。 地図によって境界線がバラバラのため、何度か境界変更があったのかもしれない。 境内は南北に長く、鳥居と長い参道があるが、社殿は赤い柵に囲まれた石祠のみ。 「元八幡宮之◯」と彫られた石柱が建っており、また神社の様子から、明治43年の大合祀で中野の郷社長良神社に合祀されてしまった神社ではないかと思われる。 唯一、祭礼の情報のみが出てきたが、それによると「開拓八幡神社」とも呼ばれているらしいので、通称として登録した。 4月と10月に例祭があるが、氏子が境内の清掃と注連縄を交換。集会所にて飲食後に氏子をお札を配布するだけとのこと。 ―――――――――――― 【館林開拓団】 「開拓八幡神社」の云われについて興味深い資料が見つかったので追記します。 この辺りはもともとは大谷原官有林という山林原野であったが、大正八年に開拓が開始された。 ところが太平洋戦争の勃発により、開拓地が長柄・六郷・多々良村に跨がる陸軍館林飛行場に転用される。 終戦後の食料増産と、復員兵・引揚者・戦災者らの新村建設のため、飛行場跡地に再入植。 入植後20周年を期して、開拓記念碑を八幡宮境内に建立したそうです。