こいずみじんじゃ
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小泉神社の御由緒・歴史
ご祭神 | 藤原長良公、菅原道真公、外二十二柱 | |
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ご由緒 | 当社の創建は古く元慶七年(八八三年)邑楽郡佐貫荘の荘官であった佐貫弾正良綱の次男築比地良基が、村の鎮めと安全を祈って築比地宮原の地に、藤原氏の先祖で東国に下ってことに邑楽郡の治安治水につとめ、国土をひらき農工商すべての産業開発に功労があったと伝えられる、藤原長良公の威徳を追慕して神霊をお祀りした、この社を長良明神と言った。 その後、延徳元年小泉城主富岡主税介直光により社殿が再建され、社領が寄進されたが、天正十八年豊臣秀吉の小田城攻めの時、小田原を支援する武将の諸城も攻め落とされた、この時豊臣軍の兵火にかかり社殿・神宝・旧記はことごとく焼失した、そのうち長良明神はわずかに再建されたが本村宮原の片隅にあった、当時領主であった杉山三右衛門が社地を寄進したので、移転造営の工事を起こし、慶長十六年宮原の鎮座を現在地へ移した。氏子崇敬者往昔よりこの神社を崇敬すること殊に深く、実に西邑楽の総社であった、本殿は嘉永元年から安政元年にかけての造営で、彫刻が素晴らしく東群馬にまれな傑作である。明治五年上小泉村の村社となった、明治七年から十年にかけて現在の拝殿、幣殿が再建された。その後、明治四十五年には学問の神として有名な下小泉村の村社菅原神社を始め町中の神社を合併して総社小泉神社と改称した。本殿は大泉町指定重要文化財になっています。
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