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ぶっしゅうざんなんこうじ|高野山真言宗佛修山

佛修山南光寺の御由緒・歴史
公式群馬県 韮川駅

ご本尊《本尊》聖観世音菩薩(霊場本尊)
《脇侍》普賢菩薩・文殊菩薩
《堂宇》薬師堂
《諸尊》不動明王・弘法大師・勢至菩薩・千手千眼観世音菩薩・狢神・鬼子母神
創建時代久安元年(1145年)
開山・開基南蔵法師
ご由緒

当寺が南光寺とする由来は、久安元年(1145年)、3月18日、梵僧南蔵法師が現れ、この地が佛場感應の地なりとすぐに安住する。
3年後、3月18日一人の佛子を得る。また、彼に曰くこの地が人々を救済するのに適した場所として自ら南蔵庵と称し、人々は彼を崇敬する。
建久八年(1197年)、征夷大将軍、源頼朝卿が信州善光寺へ御参詣の途中、御夢に佛場というべき草庵にて梵僧の御説法あり。 御名を聞いたところ、我は南蔵法師と述べて卿は歓喜し、光明天を輝かして昇天する。卿は御夢の出来事に感銘を受けてその後、諸国社寺の再興に尽力した。当寺へご参詣したおりには御夢の出来事に感謝して、佛修山南光寺密蔵院となる。
(寺院HPより)

【南光寺の狢伝説】
韮川村大字上小林の南光寺を中心として起こった物語である。
明治四、五年頃の出来事と伝えられる。非常に面白いことをする一匹の貉、休泊川の土堤に棲み、近隣の人家に様々な悪戯を行う。
ある時は同村善太郎の庭等にてあたかも車を挽き廻す音を立て、家の人が外に出てみるとその姿を消し、ある時は寝静まっている人家を起こすなど数々の悪戯を行った。これを世の人は南光寺貉の仕業と語り伝える。
数々の悪戯が同村の方々を悩ませ、ついに貉退治の儀が起こり猪越仲衛門を中心とし貉を退治した。同時に不思議とその悪戯は止まり、参詣する者多く、一時、非常に繁昌した。
その後、神に祀るに際し、当時の南光寺住職であった泰運僧正が祭式を司り、南光寺境内の一隅にある椿の木の所に埋葬した。このお話が南光寺蟲封じの起源となっています。

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