おおくにじんじゃ
大国神社のお参りの記録一覧
何度か神社前のバイパスを通っていて、大きな神社だな〜と思っていましたが、神職常駐していないので後回しになっていました。今回は伊勢崎市内を巡ったので参拝に伺うことが出来ました。
社号標
一の鳥居
由緒書
参道
銀杏の木が綺麗に黄葉してました
社号標
由緒書
大正十一年(1922)奉納の二の鳥居
三の鳥居
井戸
狛犬
明治二十九年(1896)奉納の燈籠
手水舎
文政二年(1819)奉納の手水盤
境内社 浅間神社 旧御手洗神社の社殿を移築したもの
延徳二年(1490)の石幢(市指定重要文化財)
境内社 八坂神社
燈籠
境内社 石山大嶽神社
境内社 大正七年(1918)建立の富士嶽神社
安永八年(1779)建立の庚申塔
寛政十年(1798)建立の庚申塔
秋葉山
疱瘡神社
金神
弥都波能女神社
西宮神社
昭和十五年(1940)建立の猿田彦大神碑
猿田彦大神
境内社 少彦名神社
境内社 天和元年(1681)建立の摩利四天宮
境内社 天和元年(1681)建立の八幡神社
境内社 牛頭天王宮 天和元辛酉年(1681)と刻まれています
大国主命
境内社 地神神社
境内社 天和元年(1681)年建立の多賀神社
境内社 天和三年(1683)建立の稲荷神社
境内社 住吉神社
境内社 諏訪神社
文化元年(1804)造営の拝殿
大きな拝殿屋根、中央の文様は何か尋ねたが判らず
昭和五年(1930)造営の幣殿
寛政五年(1793)造営の本殿
境内社 八坂神社
境内社 渕名天満宮
御祭神 大国主命
創建 大和時代
社務所が閉まっており
電話番号☎️が書いてありました
ので電話しましたら5分程で来て
頂きました
拝殿
文化元年(1804)に建造
本殿
寛政五年(1793)建造
社務所
境内社
八坂神社
境内社
天満宮
R17沿いに朱の鳥居が立派に立っています。
駐車場も広く、停め易いです。
名前の通り、大国主命が祀られています。
鳥居の横に案内板もあり、大きくてわかりやすいです。
桜並木の奥に拝殿がみえます。
ニノ鳥居
屋根が大きく、圧倒されました。
この大きさをどうやったら分かって貰えるか、色んな角度で写真を撮りました。
わからないなぁ(〃ω〃)
それでは向拝の彫刻を。
大黒天と恵比寿天が描かれた額が奉納されています。
正面に掲げてあるので、なんだか嬉しいです。
手水舎
大国神社の石憧
本殿
本殿の真後ろに祠があります。
後には「郷社 祭神 大国主命」と書かれた社標があります。
始まりはこちらかもしれません。
さて、氏子さんが集まって、木を伐採していました。こちらの、何かの跡にもサカキとお米のお供えがあり、お祀りの後のようでした。
なんだろな、、
大国主命と兎のスタンプの御朱印が頂けました^_^
大國神社(おおくに~)は、群馬県伊勢崎市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。主祭神は、大国主命、配祀神は日葉酢媛命(ひばすひめ)、渟葉田瓊入媛命 (ぬはたにいりひめのみこと)、真砥野媛命 (まとのひめ)、薊瓊入媛命 (あざみにいりひめ)、竹野媛命 (たかのひめ)の5柱(いずれも丹波道主王命の娘で、このことから「五護之宮」、「五后宮」の別名がある。)。
社伝によると、垂仁天皇9年(紀元前21年)に天候不順の旱魃に苦しむ人々を救うため、天皇は東国に百済車臨を奉幣使として派遣した。車臨が当地に至り、御手洗池で手を洗うと大国主命に出会い、国難平定を祈願したところ、大国主命は消え跡に淵ができ水不足が解消した。その後天皇は車臨を称賛し、当地を与え当社を祀らせた。また垂仁天皇15年()に、丹波国穴太郷から五媛を勧請し合祀したという。国史に当社の記載はないが、社伝によると奈良時代の767年に勅を奉じた佐位采女が社殿を修造したとある。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「上野国 佐位郡 大國神社 小」に比定されている。3種ある『上野国神名帳』では、一宮本、群書類従本において上野国鎮守12社中12番目に記載されている(総社本には記載なし)。明治時代には、近代社格制度の下、郷社に列した。
当社は、東武伊勢崎線・剛志駅の東北東3km弱の民家もまばらな平地にある。幹線道路の上武道路に面していて、隣は近郊農業の広大な畑で、境内周りのみ木々に覆われた形になっている。境内は入口は広くはなく、奥に長く広い形で、社殿の周りには境内社や社務所などいくつかの建物が建っている。旧郷社としても、やや小さめの印象。
今回は、上野国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後遅めの時間で、自分以外に参拝者はほとんどいなかった。
※当社では御朱印を領布しているが、領布日が正月三が日と年間数日で、激レア御朱印となっている。
境内東南端入口にある<一の鳥居>と<社号標>。
長い参道を進む。参道両側の木々は少な目。
社殿周りの手前にある<二の鳥居>。
鳥居をくぐってすぐ右側にある<手水舎>? 単なる井戸かな? コロナなので、どのみち使わないけど...(^_^;)
鳥居をくぐったところから拝殿を望む。
参道をさらに進むと、両側にある<狛犬>。割と新しそう。
<拝殿>全景。離れたところから見てすぐ気づいたが、屋根が高く、全体としてかなり大きい。
<拝殿>正面。凝った彫刻、きれいな神社幕、ビビッドな赤色の彩色が、いずれも印象に残る。
拝殿後ろの<本殿>。一部にビビッドな赤の彩色が施されており、統一的なイメージを作っている。
拝殿の左側に建つ<(渕名)天満宮>。ひと気の少ない神社と思いきや、左側のたくさんの絵馬が掛かっている。
拝殿の右手にある、真っ赤な鳥居のある<社務所>? 横にかなり長い建物なので氏子集会所かな?
拝殿の右手にある境内社群。あれ? 手前は<手水舎>かな? そうすると、さっきのは単なる井戸? (^_^;)
地元では古くから「御手洗の石燈籠」と呼ばれてきた石幢(せきどう)。仏教でいう輪廻応報、罪業消滅を願って建立されたもの。
手水舎と石幢の後ろ、右側にある<浅間神社>。
手水舎と石幢の後ろ、左側にある<八坂神社>。この左手には石製小祠の<疱瘡神社>がある。
最後にもう一度、<社殿>遠景。背が高く、赤が目立つユニークな拝殿は印象に残る。
なかなか良い神社だが、大きな通り(上武道路)沿いだが、車線の分離帯があって直接進入できないのがちょっと痛い。(^_^;)
群馬県のおすすめ2選🎌
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
3
0