おおくにじんじゃ
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大国神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年10月21日(木)
参拝:2020年10月吉日
大國神社(おおくに~)は、群馬県伊勢崎市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。主祭神は、大国主命、配祀神は日葉酢媛命(ひばすひめ)、渟葉田瓊入媛命 (ぬはたにいりひめのみこと)、真砥野媛命 (まとのひめ)、薊瓊入媛命 (あざみにいりひめ)、竹野媛命 (たかのひめ)の5柱(いずれも丹波道主王命の娘で、このことから「五護之宮」、「五后宮」の別名がある。)。
社伝によると、垂仁天皇9年(紀元前21年)に天候不順の旱魃に苦しむ人々を救うため、天皇は東国に百済車臨を奉幣使として派遣した。車臨が当地に至り、御手洗池で手を洗うと大国主命に出会い、国難平定を祈願したところ、大国主命は消え跡に淵ができ水不足が解消した。その後天皇は車臨を称賛し、当地を与え当社を祀らせた。また垂仁天皇15年()に、丹波国穴太郷から五媛を勧請し合祀したという。国史に当社の記載はないが、社伝によると奈良時代の767年に勅を奉じた佐位采女が社殿を修造したとある。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「上野国 佐位郡 大國神社 小」に比定されている。3種ある『上野国神名帳』では、一宮本、群書類従本において上野国鎮守12社中12番目に記載されている(総社本には記載なし)。明治時代には、近代社格制度の下、郷社に列した。
当社は、東武伊勢崎線・剛志駅の東北東3km弱の民家もまばらな平地にある。幹線道路の上武道路に面していて、隣は近郊農業の広大な畑で、境内周りのみ木々に覆われた形になっている。境内は入口は広くはなく、奥に長く広い形で、社殿の周りには境内社や社務所などいくつかの建物が建っている。旧郷社としても、やや小さめの印象。
今回は、上野国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後遅めの時間で、自分以外に参拝者はほとんどいなかった。
※当社では御朱印を領布しているが、領布日が正月三が日と年間数日で、激レア御朱印となっている。
社伝によると、垂仁天皇9年(紀元前21年)に天候不順の旱魃に苦しむ人々を救うため、天皇は東国に百済車臨を奉幣使として派遣した。車臨が当地に至り、御手洗池で手を洗うと大国主命に出会い、国難平定を祈願したところ、大国主命は消え跡に淵ができ水不足が解消した。その後天皇は車臨を称賛し、当地を与え当社を祀らせた。また垂仁天皇15年()に、丹波国穴太郷から五媛を勧請し合祀したという。国史に当社の記載はないが、社伝によると奈良時代の767年に勅を奉じた佐位采女が社殿を修造したとある。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「上野国 佐位郡 大國神社 小」に比定されている。3種ある『上野国神名帳』では、一宮本、群書類従本において上野国鎮守12社中12番目に記載されている(総社本には記載なし)。明治時代には、近代社格制度の下、郷社に列した。
当社は、東武伊勢崎線・剛志駅の東北東3km弱の民家もまばらな平地にある。幹線道路の上武道路に面していて、隣は近郊農業の広大な畑で、境内周りのみ木々に覆われた形になっている。境内は入口は広くはなく、奥に長く広い形で、社殿の周りには境内社や社務所などいくつかの建物が建っている。旧郷社としても、やや小さめの印象。
今回は、上野国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後遅めの時間で、自分以外に参拝者はほとんどいなかった。
※当社では御朱印を領布しているが、領布日が正月三が日と年間数日で、激レア御朱印となっている。
境内東南端入口にある<一の鳥居>と<社号標>。
長い参道を進む。参道両側の木々は少な目。
社殿周りの手前にある<二の鳥居>。
鳥居をくぐってすぐ右側にある<手水舎>? 単なる井戸かな? コロナなので、どのみち使わないけど...(^_^;)
鳥居をくぐったところから拝殿を望む。
参道をさらに進むと、両側にある<狛犬>。割と新しそう。
<拝殿>全景。離れたところから見てすぐ気づいたが、屋根が高く、全体としてかなり大きい。
<拝殿>正面。凝った彫刻、きれいな神社幕、ビビッドな赤色の彩色が、いずれも印象に残る。
拝殿後ろの<本殿>。一部にビビッドな赤の彩色が施されており、統一的なイメージを作っている。
拝殿の左側に建つ<(渕名)天満宮>。ひと気の少ない神社と思いきや、左側のたくさんの絵馬が掛かっている。
拝殿の右手にある、真っ赤な鳥居のある<社務所>? 横にかなり長い建物なので氏子集会所かな?
拝殿の右手にある境内社群。あれ? 手前は<手水舎>かな? そうすると、さっきのは単なる井戸? (^_^;)
地元では古くから「御手洗の石燈籠」と呼ばれてきた石幢(せきどう)。仏教でいう輪廻応報、罪業消滅を願って建立されたもの。
手水舎と石幢の後ろ、右側にある<浅間神社>。
手水舎と石幢の後ろ、左側にある<八坂神社>。この左手には石製小祠の<疱瘡神社>がある。
最後にもう一度、<社殿>遠景。背が高く、赤が目立つユニークな拝殿は印象に残る。
なかなか良い神社だが、大きな通り(上武道路)沿いだが、車線の分離帯があって直接進入できないのがちょっと痛い。(^_^;)
すてき
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惣一郎1269投稿
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