ちょうあんじ
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楽しみ方長安寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年04月08日(水) 06時55分25秒
参拝:2024年2月吉日
群馬県 伊勢崎市 に境内を構える、真光山 永照院 長安寺、2024.1に北関東三十六不動尊霊場にて参拝致しました、当方は 道の駅 全国制覇者で 全国の寺社、霊場を巡礼してます。群馬県の方々の人の良さなのか県民性の高さなのかは解りませんが、群馬の寺院、神社、道の駅等ムラなく素晴らしい対応で気持ちが良く、また行きたいと想いました、寺院対応も丁寧でした。どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 真光山、院号は 永照院、寺号は 長安寺、宗旨 宗派は 天台宗、ご本尊は 釈迦牟尼如来、北関東三十六不動尊霊場 第七番札所 みかえり不動尊、
後深草天皇の御代、鎌倉時代中期の正嘉元年(1257年)に鎌倉大地震が起こり、つづく、正元年中(1504-1521)の全国における大飢餓は、この佐波路の領民も、その外ではなく多くの村民は瀕死の状況にありました。
文応元年(1260年)亮海上人は釈迦牟尼の霊告をうけてこの地に草庵を結び、ひたすら本尊に村民の救済加護を祈願した。すると、たちまちにして飢餓・病魔等を退散させることが出来たという。
長安寺の由来はこの通りだが、今も「長安寺のなさけの釈迦」として口伝されています。
この本尊釈迦牟尼如来が安置されるのが、大雄心殿と呼ばれる本堂です。真光山の山号額も鮮やかなこの堂宇は昭和五十七年(1982年)の落慶、長安寺の不動様ですが、俗に「みかえり不動」と呼ばれ、室町時代初期よりこの寺院に伝わる、煩悩や障害を焼き払い、悪魔を降伏して祈る人を擁護するといわれるこの不動明王は、威音王堂に安置され、深い信仰を集めている。威音王堂はこの寺院の護摩道場で、代表的な天台様式の堂宇、
境内参道脇には、凝灰岩による三体の真光山の元薬師と呼ばれる石仏があります。亮海上人が草庵を結んだ時すでに造立されていたとされることから、少なくとも七百年以上はたっていると思われます。長い風雪に耐えてこられたためお姿も判然とはいたしませんが、かえってほのぼのとした味わいが、この一尺あまりの石仏からは伝わってくるようです
後深草天皇の御代、鎌倉時代中期の正嘉元年(1257年)に鎌倉大地震が起こり、つづく、正元年中(1504-1521)の全国における大飢餓は、この佐波路の領民も、その外ではなく多くの村民は瀕死の状況にありました。
文応元年(1260年)亮海上人は釈迦牟尼の霊告をうけてこの地に草庵を結び、ひたすら本尊に村民の救済加護を祈願した。すると、たちまちにして飢餓・病魔等を退散させることが出来たという。
長安寺の由来はこの通りだが、今も「長安寺のなさけの釈迦」として口伝されています。
この本尊釈迦牟尼如来が安置されるのが、大雄心殿と呼ばれる本堂です。真光山の山号額も鮮やかなこの堂宇は昭和五十七年(1982年)の落慶、長安寺の不動様ですが、俗に「みかえり不動」と呼ばれ、室町時代初期よりこの寺院に伝わる、煩悩や障害を焼き払い、悪魔を降伏して祈る人を擁護するといわれるこの不動明王は、威音王堂に安置され、深い信仰を集めている。威音王堂はこの寺院の護摩道場で、代表的な天台様式の堂宇、
境内参道脇には、凝灰岩による三体の真光山の元薬師と呼ばれる石仏があります。亮海上人が草庵を結んだ時すでに造立されていたとされることから、少なくとも七百年以上はたっていると思われます。長い風雪に耐えてこられたためお姿も判然とはいたしませんが、かえってほのぼのとした味わいが、この一尺あまりの石仏からは伝わってくるようです
すてき
投稿者のプロフィール

japan-wel…639投稿
宮城県 石巻市に在住、元々出張で日本各地を訪れる機会が在り思い出作りに道の駅スタンプラリーにも参加、気がつけば全国制覇者2022年第184号、今は休日 旅行で全国各地の食べ物、景色、温泉を探索、...もっと読む
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