からいじんじゃ/ほのいかづちじんじゃ
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楽しみ方火雷神社のお参りの記録一覧
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樋越の神明宮にお参りした後、こちらへ歩いてきました(*´▽`*)
ちゃんとコース考えて歩けば、伊勢崎から高崎まで歩く途中に寄れたのかもしれませんが、ボチボチ戻らないと日が暮れそうな時間帯。
道中、時計を見ながら緊張感が漂います(´・ω・`)
北側から歩いてきたので鳥居の位置が分からず、横から入ったら....ん?しめ縄?結界?
このまま中に無闇に入ってしまうと問題ありそうなので、慎重に境内を歩いていると、拝殿前に注意書きが!?
「麦蒔御神時」(むぎまきごじんじ)
→詳細は写真
という事で、年に一度のご神事らしく、境内のしめ縄内には入れませんヽ(;▽;)ノ
いや〜、毎回毎回こう何というか、一年にたった一度のご神事の日に参拝にくる自分の引きの悪さは相変わらずだなぁと呆れつつも、結界内に入るなど罰当たりな事はしたく無いので、注意書きに従ってお賽銭箱らしきところにお賽銭を入れてそこから拝殿方向にお参りさせて頂きました(*´▽`*
私が来たかったのは、この神社の境内社である「甲波宿禰神社」
でしたがそれ以上の事は分かりません。
あと、社務所は閉まってました。ハイ(*´▽`*)
また機会があったら参拝したいです(*´▽`*)
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火雷神社(からい~/ほのいかづち~)は、群馬県佐波郡玉村町にある神社。式内社、上野国八之宮。旧社格は郷社。主祭神は火雷神(ほのいかづちのかみ)。利根川右岸に位置し、利根川左岸にある倭文神社(しどり~;式内社、上野国九之宮、上之宮)に対して「下之宮(しものみや)」と称される(なお、中世までは地続き)。
社伝によると、創建は第10代崇神天皇元年(紀元前97年)で、第12代景行天皇の代に東国に派遣された御諸別王(崇神天皇四世孫)も当社を祭祀したという。当社の奉斎氏族は、壬申の乱で功をなした佐味氏(佐味君)とのこと。
国史の初見は『日本後記』で、平安時代初期の796年に賀茂神社、美和神社、火雷神社を官社と為すと記載されている。この3神はいずれも大和地方からの勧請と考えられている(賀茂神社は高鴨神社、美和神社は大神神社、火雷神社は葛木坐火雷神社)。平安時代中期の927年には『延喜式神名帳』に「上野国那波郡 火雷神社 小」と記載されている。『上野国神名帳』などの古文書によると、上野国において8番目から10番目の序列の神社であったらしい。
中世においては那波氏や新田氏から崇敬され栄えたが、那波氏の衰退とともに零落した。近世においては天神信仰の浸透により「火雷天神社」と称された。明治時代に入り、郷社に列した。
当社は、JR両毛線・伊勢崎駅の南西6kmの利根川の南岸にある。境内はけっこう広いが、周辺は住宅地で、一の鳥居から二の鳥居までの間は参道だけがかろうじて社地として残っている感じ。
今回は、上野国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後で、他に参拝者はいなかった。
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