御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

しどりじんじゃ

倭文神社のお参りの記録(1回目)
群馬県伊勢崎駅

投稿日:2021年07月25日(日) 20時30分44秒
参拝:2021年5月吉日
4
倭文神社(しどり~)は、群馬県伊勢崎市にある神社。式内社、上野国九之宮。旧社格は郷社。祭神は天羽槌雄命(あめのはづちおのみこと)で、倭文神(しどりのかみ)とも言われる機織・養蚕の神。
利根川左岸に位置し、利根川右岸にある火雷神社(式内社、上野国八之宮、下之宮)に対して「上之宮(かみのみや)」と称される。

創建は不詳。社伝によると、第11代垂仁天皇3年(紀元後27年)の創建。平絹を織る部民・倭文部(しどりべ)が当地に移住して天羽槌雄命を祀ったという説がある。国史の初見は、『日本三大実録』859年に祭神「委文神」が官社に列し、神階が昇叙されたことが記載されている。平安時代中期の927年には『延喜式神名帳』に「上野国那波郡 倭文神社 小」と記載されている。『上野国神名帳』などの古文書によると、上野国において9番目から11番目の序列の神社であったらしい。
戦国時代の兵火で社殿をを焼失、社家も離散したが、江戸時代に入り慈眼寺が別当になり朱印地10石を与えられた。社殿は1727年に再興したが、1866年に焼失。明治時代に入り近代社格制度で郷社に列し、1925年には神饌幣帛料供進社に指定された。

当社は、JR両毛線・伊勢崎駅の南西5kmの利根川の北岸にある。広々と敷いた平坦な土地(畑や公園・広場など)に、木々がモリモリの神社がポツンと存在する感じ。

今回は、上野国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後で、他に参拝者はいなかった。
倭文神社のその他建物
手前の川に架かる<神橋>と右手の<社号標>。
倭文神社の鳥居
参道を進むと、真っ赤な<鳥居>。重厚な六脚鳥居仕様。利根川が近いからか?
倭文神社のその他建物
鳥居の右側にある<社務所>。通常無人で、拝殿にある総代の電話番号に電話すると、総代に来ていただけて、御朱印を拝受できる。
倭文神社の末社・摂社
参道右手の石碑・石仏群。一番左には、宮郷七福神の<恵比須>さんがある。
倭文神社(群馬県)
<拝殿>遠景。手前に立っている桜の木の葉っぱが良い感じに茂っていて、拝殿がよく見えない。4月ごろは相当キレイかも。
倭文神社の本殿・本堂
<拝殿>全景。彩色は一切なく、落ち着いた雰囲気。
倭文神社の本殿・本堂
<拝殿>正面。扁額の位置には<字がかすれた奉納者名簿>と<山の絵画>が掛かっている。この写真の左外側に小さな額に<倭文神社>との墨字ある。
倭文神社の本殿・本堂
<社殿>全景。昔ながらのオーソドックスな社殿。(・∀・)イイネ!!
倭文神社の本殿・本堂
拝殿後ろの<本殿>。流造銅板葺。明治時代1880年の再建。
倭文神社のその他建物
拝殿向かって左手にある<神楽殿>。
倭文神社のその他建物
神楽殿の左側にある<戦役記念碑>。
倭文神社の末社・摂社
社殿左側にある、少し大きな境内社。名称不明。
倭文神社の末社・摂社
社殿左側にある、石製小祠群。左から2つは不明、3つ目は<八坂神社>。
倭文神社の末社・摂社
社殿奥にある石製小祠群。左から2つは不明、3つ目は<霊符神社>。
倭文神社の末社・摂社
社殿奥にある、大きな境内社<熊野神社>。
倭文神社の末社・摂社
社殿奥にある石製小祠群。左から順に<市杵嶋神社>、<八幡神社>、<天満神社>、<水神社>、<三社神社>。

すてき

御朱印

みんなのコメント4件)

こんにちは。

伯耆國一之宮は倭文(しとり)神社さんですけど「群馬にあんの!?」と思って驚き、解説文をじっくり読ませてもらいました。

「倭文部」が祀っていた機織・養蚕の神であり、さらに関東の移住により広まったということは秦氏と似たような渡来人・帰化人系の技術者一族の氏神だったかもしれませんね。

古代史はわからないことだらけで、その分面白いですし、勉強になります。詳しい解説ありがとうございました。

2021年07月26日(月) 16時57分24秒

Takashi Shimojimaさん、コメントありがとうございます! m(_ _"m)

私も伯耆國一之宮・倭文神社の方を先に認識したので、上野国式内社を調査していた時に「なんでかな?」と思って少し調べました。

上野国一之宮の貫前神社も、当社と同様、もともと生地や機織の技術を持った渡来人ゆかりの神社らしいです。上野国二之宮・赤城神社の由緒書きにそう書いてありました。

ちなみに、関東には当社以外にも<倭文神社>という名の神社がいくつかあって、主に富士山周辺(伊豆・甲府周辺を含む)にあるようです。

おっしゃる通り、創建の由緒を調べると分からないことだらけですが、寄り道しながら調べまくると、一定の納得感と満足感が湧いてきて、なかなか楽しいですよね! (o^―^o)ニコ

2021年07月27日(火) 01時00分55秒

なるほど!

貫前神社さんも機織り系の渡来人にゆかりのがあるんですね。

近くに富岡製糸場ができたのには、その時代からの養蚕、生糸生産・加工の技術があったことと関係しているのでしょうかね?

「倭文」は超難読漢字で鳥取にしかないと思いこんでいたのですが、領域としてみれば、ある地域内にはいくつもちゃんと残ってるんですね。

2021年07月28日(水) 20時23分24秒

Shimojimaさんのおっしゃる通り、貫前神社の祭神は経津主神(男神)と姫大神(女神)で、姫大神は機織りの神様、養蚕の神様とされています。

日本の文明が開化し始めた大和時代や飛鳥時代だと、機織りや養蚕は最先端のハイテク技術だったでしょうから、儲かった分は適切に奉納されてきたんでしょうね。

自分も、難読漢字や読み方が変わった神社に出会うと、なんでそうなったのか歴史や経緯を知りたくて、探求心がメラメラしてワクワクします! (^▽^)/

2021年07月29日(木) 01時44分01秒
ログインしてください

ログイン無料登録すると、投稿へコメントできます。

ホトカミ見ました! で広がるご縁

ホトカミを見てお参りされた際は、
もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
倭文神社の投稿をもっと見る10件
コメント
お問い合わせ