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日蓮宗

寂光院のお参りの記録一覧
群馬県 西桐生駅

たかく
たかく
2019年09月25日(水)
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桐生の寺院は山の中腹に建っているので結構見晴らしが良いです。

 寂光院の前身、寂光庵は桐生町下久方村押出、現在の天神町2丁目に所在した。この庵は文化11年(1814)新居善右ヱ門らが中心となり創立された。善右ヱ門の孫にあたるのが新居日薩上人である。上人は天保元年(1830)桐生の機業家、新居惣左ヱ門の六男として生れた。秩父浄蓮寺、金沢立像寺充治園の遊学をへて東京駒込蓮久寺に住職した。明治元年、政府は神仏分離令をもって仏教弾圧に乗り出した。その混沌とした時代、日薩上人は明治7年、日蓮宗総本山身延山久遠寺73世法主となり、同11年、日蓮宗初代の管長となった。同19年、大本山池上本門寺65世の貫首となり同21年8月29日59歳で遷化された。
 寂光院建立は明治13年11月26日。日薩上人の祖父らが桐生に日蓮宗寺院が一ヶ寺もない事を嘆き建立を発案した。上人の実弟常七は日本式掛時計業界の草分けであり、銀座に近江屋という日本式掛時計屋を開業し、建立に際し資金3600円の内2000円を負担した。折しも桐生2丁目の町衆が祇園祭踊屋台を新調することになり、金50円にて旧屋台を譲り受け、旧屋台の彫刻品を荘厳具などに使用した。開堂供養には管長である日薩上人自ら桐生に赴き導師をつとめた。当時、上人は日蓮宗管長であったため、池上本門寺62世大車院日軌上人(日薩上人の師僧)を開祖とし、日薩上人が開基・二祖となり、上人の弟子椎日敬上人を三祖住職とした。

寂光院の像
寂光院の本殿
寂光院の手水
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