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曹洞宗

泉龍院のお参りの記録一覧
群馬県 西桐生駅

たかく
たかく
2019年10月06日(日)
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当院は田澤山青枩林泉龍禅寺泉龍院と号し、開創は応永24年(1417年)で、当時は天台宗との事。後、天文15年(1546年)に曹洞宗に改まる。当山は山林寺号を有する関東屈指の古禅林であり、特に全国各地や海外より多くの修行僧が集まり、禅学を講義した寺として宗門僧侶の出世の道場であったお寺です。本尊は釋迦牟尼佛と薬師瑠璃光如来です。当院の薬師如来は霊験灼かで悪病を祓い、一切の厄を取り除き大願を成就して下さる薬師如来であります。慶安2年(1649年)に徳川3代将軍家光より特使を受け山門を建立し、徳川家と諸民の安泰を祈るべく厄封じの祈祷印を受け厄よけ寺として栄えてきました。今では厄よけの名声が遠くまで広がり、桐生厄よけ薬師霊場として近隣各地より大勢の善男善女が参拝し、祈祷寺として信仰を集めております。本尊様のご開帳大祭は毎年1月元旦より4日まで行われております(他の日でも厄除け等の祈祷の受付はしております)。境内には天然記念物として『四方竹群』保存樹として『大王松』『コウヤマキ』『太羅葉』等が有り、建物としては山門が徳川家の葵の家紋入りの瓦での建物で、又長屋門は当地の殿様であった細川内膳の屋敷門を当山に移築し屋根は昔のままの茅葺きにして現在に至っております。本堂内の正面欄間は彫刻師左甚五郎の流れをくむ上田沢(桐生市黒保根町)の住人関口文治郎の作と云われております。また内陳両面彫りの彫刻は、山の神(太田市薮塚町)の住人岸亦八の作です。大間の格天井の絵画や内陣天井の皈竜の絵は仲永秀・英道の銘が記述されています。また須弥檀上の十六羅漢・四天王の彫り師は花輪(みどり市東町)の住人石原主信・知信の二人の作です。宝物では徳川家三代将軍家光公よりの御朱印、法隆寺の百万塔のうちの一基、450年前当山が曹洞宗になった時の韋駄天(総丈80cm)、山越源右ェ門(名主)よりの身代り十一面観世音菩薩立像(別名胴切り観音)、幕末最後の小大名横瀬家の末孫の大舘鐵之助、二男大舘門治郎の墓地と位牌、板碑、隠れキリシタンの碑等々があります。

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