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高園寺ではいただけません
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高園寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2019年10月27日(日)
参拝:2019年10月吉日
当寺の開創は、室町応永年間(1394~1428年)開山は永平寺道元禅師の7代玄翁和尚の直弟子で松堂長源和尚による。天文2年(1533年)に七堂伽藍が完成するが、その後天正年間(1573~1592年)全て焼失する。再建は寛永年間(1624~1644年)に所謂当寺中興開山であり初代住職とされている鳳仙寺7世儀拈牛把禅師によって実現する。
復興した伽藍ではあるが、享保年間(1716~1736年)火災にて全焼・元文年間(1736~1741年)再建・寛保2年(1742年)水害による倒壊そして再建・天保6年(1835年)火災による焼失と幾度もの災禍に見舞われている。天保の火災に際しては、18代住職が資金調達のため「寺の裏山の砥石発掘許可」を幕府に願い出たことが記録されている。尚、徳川3代将軍家光公より寺領九石二斗を賜っている。
近年の状況は、昭和7年麦藁屋根だった本堂の大改修、昭和37年庫裏の改築と戦時中供出した梵鐘の再鋳造、さらには明治年間に倒壊した山門を昭和63年に再建をはたしている。加えて、平成22年参詣者のご利益を願い新たに十二支守り本尊八体仏が建立された。
また、中興開山儀拈牛把禅師より現住職にて25代となる当寺であるが、伝説として「宇治川の先陣争い」で有名な池月の名馬産出の場所としてよく知られている。山田郡史によれば「高沢に高園寺と言ふ寺あり、この寺の西北に池あり月夜となれば小僧この池に立派なる馬をつれ来たりて洗いたり」とあり、地元の梅田カルタにも「名馬産む池月の池高園寺」と詠まれている。古の風情を残すその池は、平成6年に高沢の名石にて補修され現在も静かな佇まいを見せている。言うまでも無く当寺の貴重なる景観である。
他に、社会的事業として昭和48年には地域の要望により寺の役員を中心に社会福祉法人たかぞの会が設立され「たかぞの保育園」が開園となる。当初寺前にあった園舎は、現在梅田町1丁目に移転し地元の子育て支援を行っているところである。
御朱印はありません。
復興した伽藍ではあるが、享保年間(1716~1736年)火災にて全焼・元文年間(1736~1741年)再建・寛保2年(1742年)水害による倒壊そして再建・天保6年(1835年)火災による焼失と幾度もの災禍に見舞われている。天保の火災に際しては、18代住職が資金調達のため「寺の裏山の砥石発掘許可」を幕府に願い出たことが記録されている。尚、徳川3代将軍家光公より寺領九石二斗を賜っている。
近年の状況は、昭和7年麦藁屋根だった本堂の大改修、昭和37年庫裏の改築と戦時中供出した梵鐘の再鋳造、さらには明治年間に倒壊した山門を昭和63年に再建をはたしている。加えて、平成22年参詣者のご利益を願い新たに十二支守り本尊八体仏が建立された。
また、中興開山儀拈牛把禅師より現住職にて25代となる当寺であるが、伝説として「宇治川の先陣争い」で有名な池月の名馬産出の場所としてよく知られている。山田郡史によれば「高沢に高園寺と言ふ寺あり、この寺の西北に池あり月夜となれば小僧この池に立派なる馬をつれ来たりて洗いたり」とあり、地元の梅田カルタにも「名馬産む池月の池高園寺」と詠まれている。古の風情を残すその池は、平成6年に高沢の名石にて補修され現在も静かな佇まいを見せている。言うまでも無く当寺の貴重なる景観である。
他に、社会的事業として昭和48年には地域の要望により寺の役員を中心に社会福祉法人たかぞの会が設立され「たかぞの保育園」が開園となる。当初寺前にあった園舎は、現在梅田町1丁目に移転し地元の子育て支援を行っているところである。
御朱印はありません。
すてき
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群馬県在住です。
桐生のお寺散策マップ54カ寺回りきりました。桐生市仏教会のホームページで寺歴が確認できるのでより詳しく知ることができました。桐生市仏教会に感謝いたします。
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