たかさきじんじゃ
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高崎神社ではいただけません
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高崎神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年06月21日(月)
参拝:2021年5月吉日
高崎神社は、群馬県高崎市にある神社。旧社格は県社。祭神は伊邪那美命、速玉男命、事解男命の3柱。別名は「おくまんさま」。高崎市の総鎮守とされる。
社伝によると、鎌倉時代の1243年、上野国和田城主であった和田小太郎正信が、相模国三浦郡の熊野権現を城中に勧請し「熊野神社」と号したのが創建。その後、安土桃山時代の1598年に井伊直政が上野国12万石を拝領し高崎城を築城する際に、熊野神社を現在地に遷座し、高崎総鎮守とした。
明治時代に入り、1870年に村社に列し、のち郷社に昇格、その後境内末社12社と高崎市内36社を合祀し、「高崎神社」と改称、1925年に県社となった。
当社は、JR高崎線・高崎駅の北西1kmほどの市街地の中にある。入口に大きな鳥居が立っておらず、大きな建物(神社直営の結婚式場)の横道を入って行くため、初めて行くには分かりにくい。ただ、境内には草木は少なく、大きな社殿は2階にあり1階は駐車場になっている。典型的な都会式の神社。
今回は、旧社格が県社ということで参拝することに。参拝時は週末の夕方で、自分以外には参拝者はいなかった。
社伝によると、鎌倉時代の1243年、上野国和田城主であった和田小太郎正信が、相模国三浦郡の熊野権現を城中に勧請し「熊野神社」と号したのが創建。その後、安土桃山時代の1598年に井伊直政が上野国12万石を拝領し高崎城を築城する際に、熊野神社を現在地に遷座し、高崎総鎮守とした。
明治時代に入り、1870年に村社に列し、のち郷社に昇格、その後境内末社12社と高崎市内36社を合祀し、「高崎神社」と改称、1925年に県社となった。
当社は、JR高崎線・高崎駅の北西1kmほどの市街地の中にある。入口に大きな鳥居が立っておらず、大きな建物(神社直営の結婚式場)の横道を入って行くため、初めて行くには分かりにくい。ただ、境内には草木は少なく、大きな社殿は2階にあり1階は駐車場になっている。典型的な都会式の神社。
今回は、旧社格が県社ということで参拝することに。参拝時は週末の夕方で、自分以外には参拝者はいなかった。
社号標の立つ敷地入口から100mほど進んだ、社殿の前に立つ<一の鳥居>。
階段を上がって左手にある<手水舎>。屋根が非常に重厚。
階段を上がって、右方向に少しずれた位置にある拝殿前の階段。
拝殿正面。やはり近代的な感じ。
拝殿から振り返り、境内を見下ろす。写真右側の直営結婚式場が大きすぎ...
社殿を横から見るとこんな感じ。1階は駐車場。
境内の北端にある<美保大国神社>。昭和初期に、事代主神を出雲・美保神社から、大国主神を出雲大社から勧請したとのこと。
美保大国神社の全景。大きな境内社。
美保大国神社の右側にある<五社稲荷大神>。
社殿の右奥にある<道祖神社>。
鳥居の左側にある<社務所>。御朱印はこちらの2階の授与所にて。
大通りから見た神社入口。鳥居がなく、小さな社号標が両サイドに建っているだけなので、普通の人は神社があることに気付かないかも。。。
すてき
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惣一郎1269投稿
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