たいげんじんじゃ・おくのいん
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太元神社・奥の院の編集履歴
2022年12月15日 19時58分
ご由緒
大縣神社とも棟札にある。
創建年代は不詳であるが、
建久七年(1196年)11月の明智荘検注状(京都石清水八幡宮所蔵文書)に
「大縣大明神田参町」とある事からも鎌倉時代以前既に神田として
三町宛??われ明智8郷(瀬田、古屋敷、顔戸、柿田、渕之上、平貝戸、石森、石井)の総社
として信仰されていた事を物語る。
また、江戸時代の「太元宮御神祭記」によれば、当社の祭りは旧暦八月に挙行され、
趣向を凝らした置物や神馬、ときには狂言を奉納した。
??様にして古代から近郷に信仰されていた神社である。
編集前:大縣神社とも棟札にある。
創建年代は不詳であるが、建久七年(1196年)11月の明智荘検注状(京都石清水八幡宮所蔵文書)に
「大縣大明神田参町」とある事からも鎌倉時代以前既に神田として
三町宛??われ明智8郷(瀬田、古屋敷、顔戸、柿田、渕之上、平貝戸、石森、石井)の総社として
信仰されていた事を物語る。
また、江戸時代の「太元宮御神祭記」によれば、当社の祭りは旧暦八月に挙行され、
趣向を凝らした置物や神馬、ときには狂言を奉納した。
??様にして古代から近郷に信仰されていた神社であり、
子孫末代まで栄え祀る事を誓う。
平成元年四月吉日 瀬田区
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