ひよしじんじゃ
日吉神社の編集履歴
ご由緒
弘仁八年(817)、伝教大師(最澄)が天台宗の不況の折、神戸(ごうど)の地に立ち寄られました。当地の郡司 安八太夫安次は大師の教えに帰依しました。それで大師は安次の懇請に応じて影向山(ようごうさん)神護寺善学院を建て、近江坂本 日吉神の四柱を勧請、日吉信仰の社を創建されました。
貞観三年(861)、大師の弟子 慈覚大師(円仁)が神戸の地を訪れ日吉神社に三柱の神を勧請されました。
合わせて七柱の神々が勧請され今日まで山王七社として奉幣されてきました。当時は神仏習合説の為、明治時代の神仏分離令が出されるまで、善学院が神社の別当寺として運営に携わっていました。
大正二年(1913)、県社に昇格。戦後は社格が廃止され金幣社になりました。
編集前: 弘仁八年(817)、伝教大師(最澄)が天台宗の不況の折、神戸(ごうど)の地に立ち寄られました。当地の郡司 安八太夫安次は大師の教えに帰依しました。それで大師は安次の懇請に応じて影向山(ようごうさん)神護寺善学院を建て、近江坂本 日吉神の四柱を勧請、日吉信仰の社を創建されました。
貞観三年(861)、大師の弟子 慈覚大師(円仁)が神戸の地を訪れ日吉神社に三柱の神を勧請されました。
合わせて七柱の神々が勧請され今日まで山王七社として奉幣されてきました。当時は神仏習合説の為、明治時代の神仏分離令が出されるまで、善学院が神社の別当寺として運営に携わっていました。
大正二年(1913)、県社に昇格。戦後は社格が廃止され金幣社になりました。
見所
<h3>神仏習合の名残 三重塔</h3>
国の重要文化財の三重塔。室町時代後期の永正年間(1504~1521)の建立と伝わる。
<h3>県内唯一 国重文の石造り狛犬</h3>
本殿前の石造り狛犬は旧国宝。県内に現存する石造り狛犬で唯一国の重文指定。狛犬を寄贈した不破河内守光治は「西美濃四人衆」の一人。
<h3>神戸山王祭</h3>
5月3日(試楽)、4日(本楽)の例祭。七基の神輿が4日の深夜に行われる、松明に囲まれた朝渡御は有名で「神戸の火祭り」と云われる。
編集前:<h3>神仏習合の名残 三重塔</h3>
国の重要文化財の三重塔。室町時代後期の永正年間(1504~1521)の建立と伝わる。
<h3>県内唯一 国重文の石造り狛犬</h3>
本殿前の石造り狛犬は旧国宝。県内に現存する石造り狛犬で唯一国の重文指定。狛犬を寄贈した不破河内守光治は「西美濃四人衆」の一人。
<h3>神戸山王祭</h3>
5月3日(試楽)、4日(本楽)の例祭。七基の神輿が4日の深夜に行われる、松明に囲まれた朝渡御は有名で「神戸の火祭り」と云われる。
御朱印
あり
御朱印帳
あり
参拝料
なし