みののくにいちのみや なんぐうたいしゃ
美濃國一宮 南宮大社の編集履歴
ふりがな
みののくにいちのみや なんぐうたいしゃ
編集前:なんぐうたいしゃ
ご由緒
御祭神金山彦命は、神話に古く、伊勢神宮の天照大神の兄神にあられさせる大神様であります。
社伝によれば、神武天皇東征の砌、金鵄(きんし)を輔(たす)けて大いに霊験を顕された故を以て、当郡府中に祀らせられ、後に人皇十代崇神天皇の御代に、美濃仲山麓の現在地に奉還され、古くは仲山金山彦神社と申し上げたが、国府から南方に位する故に南宮大社と云われるようになったと伝えます。
『延喜式神名帳』には美濃国39座の内、当社のみ国幣大社として、明神祭にも預る大社に列せられています。天慶三年(940)、平将門の乱の誅伏の勅願や、康平年中(1058~65)安部貞任追討の神験によって正一位勲一等の神位勲位 等を極められ、以来、鎌倉、室町、戦国の世を通じて、源氏、北条氏、土岐氏等の有力な武将の崇敬を受け、美濃国一宮として、また、金の神の総本宮として、朝野の崇敬極めて厚い名大社であります。
現在の建物は、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦の兵火によって焼失したものを、寛永19年(1642年)、春日の局の願いにより 三代将軍徳川家光公が再建したもの。
編集前:御祭神金山彦命は、神話に古く、伊勢神宮の天照大神の兄神にあられさせる大神様であります。
社伝によれば、神武天皇東征の砌、金鵄(きんし)を輔(たす)けて大いに霊験を顕された故を以て、当郡府中に祀らせられ、後に人皇十代崇神天皇の御代に、美濃仲山麓の現在地に奉還され、古くは仲山金山彦神社と申し上げたが、国府から南方に位する故に南宮大社と云われるようになったと伝えます。
『延喜式神名帳』には美濃国39座の内、当社のみ国幣大社として、明神祭にも預る大社に列せられています。天慶三年(940)、平将門の乱の誅伏の勅願や、康平年中(1058~65)安部貞任追討の神験によって正一位勲一等の神位勲位 等を極められ、以来、鎌倉、室町、戦国の世を通じて、源氏、北条氏、土岐氏等の有力な武将の崇敬を受け、美濃国一宮として、また、金の神の総本宮として、朝野の崇敬極めて厚い名大社であります。
現在の建物は、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦の兵火によって焼失したものを、寛永19年(1642年)、春日の局の願いにより 三代将軍徳川家光公が再建したもの。
見所
<h3>美濃国一之宮</h3>
『延喜式』神名帳に美濃国唯一の名神大社として記載され、本殿他複数の重要文化財を有する歴史ある神社です。
<h3>金の神、鉱山の神の総本宮</h3>
主祭神の金山彦命は鉱山、金属の神として、鍛冶屋などの金属業の職人からの信仰が厚く、境内や宝物殿には鎌などの農機具から、太刀や鉾先の奉納品が複数あります。
編集前:<h3>美濃国一之宮</h3>
『延喜式』神名帳に美濃国唯一の名神大社として記載され、本殿他複数の重要文化財を有する歴史ある神社です。
<h3>金の神、鉱山の神の総本宮</h3>
主祭神の金山彦命は鉱山、金属の神として、鍛冶屋などの金属業の職人からの信仰が厚く、境内や宝物殿には鎌などの農機具から、太刀や鉾先の奉納品が複数あります。
行事
5月5日(例祭)
11月8日(ふいご祭り)
編集前:5月5日(例祭)
11月8日(ふいご祭り)
御朱印の説明
真ん中に南宮大社と書かれ、南宮大社の印、右上に美濃國一宮の印が押されています。
国指定重要文化財の楼門と、ご神木の椿が描かれた御朱印帳があります。
編集前:真ん中に南宮大社と書かれ、南宮大社の印、右上に美濃國一宮の印が押されています。
国指定重要文化財の楼門と、ご神木の椿が描かれた御朱印帳があります。