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2022年10月21日(金) 00時30分 byコジコジ
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寛元年間(1240年代)土地の人たちにより尾張の国中島郡長岡荘大須(現在の羽島市桑原町大須)に中島観音堂が建立。 およそ百年後、能信上人がこの観音堂のお守りをするようになり堂や僧坊が造営され「北野山 真福寺」と号する立派な寺院が創立され「宝生院」と改名。この能信という僧は広く各地を遊歴し知識を深め珍しい書籍を書写しました。これが「大須文庫」の元となりました。 土御門任瑜法親王が在職した41年間は全盛期で寺領も一万石以上。伊勢、美濃、尾張、三河、遠江、近江の真言寺院は全て宝生院の末寺になっていたといわれ勅願祈祷も行われていました。享徳二年(1453)の「末寺出仕帳」には335の末寺が記されています。 戦国の時代、寺は荒廃したが織田信長の保護により再興。知行500石を寄進されるも慶長十年(1605)、木曽・長良の大洪水により堂塔全て流失。貴重な宝物・古文書などを残すのみとなりました。 慶長十七年(1612)、徳川家康は真福寺が由緒ある寺であり、貴重な蔵経がある事を知り元和元年(1615)、家康自ら僧天海と共に訪れ寺宝「大須文庫」を見、名古屋城下に移されました。これが現在の名古屋市大須観音になりました。 移転後には村民が寺を建立。「真福寺」と称し現在に至っています。
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寛元年間(1240年代)土地の人たちにより尾張の国中島郡長岡荘大須(現在の羽島市桑原町大須)に中島観音堂が建立。 およそ百年後、能信上人がこの観音堂のお守りをするようになり堂や僧坊が造営され「北野山 真福寺」と号する立派な寺院が創立され「宝生院」と改名。この能信という僧は広く各地を遊歴し知識を深め珍しい書籍を書写しました。これが「大須文庫」の元となりました。 土御門任瑜法親王が在職した41年間は全盛期で寺領も一万石以上。伊勢、美濃、尾張、三河、遠江、近江の真言寺院は全て宝生院の末寺になっていたといわれ勅願祈祷も行われていました。享徳二年(1453)の「末寺出仕帳」には335の末寺が記されています。 戦国の時代、寺は荒廃したが織田信長の保護により再興。知行500石を寄進されるも慶長十年(1605)、木曽・長良の大洪水により堂塔全て流失。貴重な宝物・古文書などを残すのみとなりました。 慶長十七年(1612)、徳川家康は真福寺が由緒ある寺であり、貴重な蔵経がある事を知り元和元年(1615)、家康自ら僧天海と共に訪れ寺宝「大須文庫」を見、名古屋城下に移されました。これが現在の名古屋市大須観音になりました。 移転後には村民が寺を建立。「真福寺」と称し現在に至っています。
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<h3>ここが元祖</h3> 名古屋の大須観音といえば有名ですが元は現在の羽島市にありました。 何度も水害に遭うこの地から徳川家康の命により名古屋に移されました。
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ここが元祖! 名古屋の大須観音といえば有名ですが元は現在の羽島市にありました。 何度も水害に遭うこの地から徳川家康の命により名古屋に移されました。
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羽島市コミュニティバス「大須バス停」下車、徒歩約7〜8分。