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舎衛寺ではいただけません
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舎衛寺のお参りの記録(1回目)
岐阜県名鉄岐阜駅

投稿日:2023年04月02日(日)
参拝:2023年4月吉日
岐阜市内の寺院巡りの3寺目は、岐阜市城田寺に在る尤勝山 舎衛寺です。今回の寺院巡りの最後となります。
カーナビに行き先をセットする際に「し」で検索しても出てきません。一瞬焦りましたが、岐阜市内に友人がいるため多少の土地勘がありましたので何とか着きました。城田寺は「しろたてら・じょうでんじ」とは読まずに「きだいじ」と読みます。地名は難しい。
真言宗御室派で、本尊は釈迦如来。
この本尊・釈迦如来坐像は、県指定文化財です。
こちらは25年間無住で、総代さん(前住職のご兄弟)が管理されています。岐阜市教育委員会に拝観について聞いた所、総代さんに取り次ぐ旨の回答でしたが、今回は教育委員会に連絡する時間がありませんでした。ネットを検索すると、舎衛寺では毎月第1日曜日に写経の会を催しており、総代さんの連絡先が記載されていました。主旨が違いますが連絡した所「基本、毎日、日中は舎衛寺に居るので、来て貰って構わない。」との事でしたので、到着時刻を連絡して伺った次第です。(昨年9月から羽島市の住職が兼務されるようになりました。)

伝えによれば、725年に創建。729年には聖武天皇が勅願寺とする。942年に天から舎衛国と記された旗が降り落ちて来たことにより城田寺を舎衛寺と改めた。1157年に後白河法皇の勅願により阿弥陀如来と薬師如来を造仏して安置。かなりの寺領を有し、塔頭もある大寺院で繁栄した。しかし、1495年に船田合戦が起こり、本寺を本陣とし敗戦したため兵火により焼失(船田合戦終焉之地)、辛うじて釈迦堂の釈迦如来のみ残った。その後、現在地に移して復興したが、農地解放により寺領没収され規模を小さくして現在に至ります。

民家の入口の様なゆるい坂が参道で、その手前に駐車場がありましたので停めさせて頂きました。坂道の途中に「船田合戦終焉之地」の碑が立てられています。山門等は無く、正面に田舎の旧家の様に見えるのが庫裏、左側に本堂と境内は小ぢんまりしています。総代さんと奥様が作業されていらっしゃいました。先日拝観の件で連絡した者ですと伝えると本堂にご案内頂きました。毎日ご夫婦で来られて庭木の手入れ・掃除などされているそうで、無住とは思えないほど境内はとても綺麗です。ソメイヨシノはかなり散っていましたが、枝垂れ桜は丁度見頃でした。
早速本堂に上がらせて頂きました。須弥壇真ん中の厨子に本尊・釈迦如来坐像、右側の棚みたいな所に不動明王、左側は弘法大師でその前に大日如来を安置。釈迦如来坐像は、高さ約129cm、一木造り、刻眼、平安時代中期~後期の作、がっしりとしていますので、厨子が小さめで窮屈そうに見えます。衣紋などはなかなかと思います。この様な仏像が殆ど無名なのは何故かしら?と思います。
無住なので御朱印は無いだろうと思っていましたが、庫裏に御朱印ありますと貼り紙があったのでお願いしました。(書置きのみ)
また近くに行ったら、寄ってみようと思います。

舎衛寺(岐阜県)
御朱印(書置き)
舎衛寺(岐阜県)
参道
舎衛寺(岐阜県)
船田合戦終焉之地の碑
舎衛寺(岐阜県)
左側は本堂、右側は庫裏
舎衛寺(岐阜県)
本堂
舎衛寺(岐阜県)
舎衛寺(岐阜県)
本尊・釈迦如来坐像(県指定文化財)
舎衛寺(岐阜県)
舎衛寺の自然
枝垂れ桜

すてき

御朱印

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