そうまおおたじんじゃ
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相馬太田神社について
相馬太田神社は「野馬追(のまおい)」というお祭りで毎年多くの観光客で賑わいます。
詳しくはこちらをどうぞ。
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相馬太田神社
元亨3年(1321年)4月22日、下総国守谷城より相馬孫五郎重胤公が御国換えの際、この地へ移り住み、氏神妙見尊を奉じて宮祠を創建して祀った。
相馬家は妙見信仰の信望者で、藩主が篤く信仰していた鎮守・妙見を下総から持参し、敷地内に鎮座させた。その妙見堂が相馬太田神社の由来とされている。
この神社は中村藩相馬氏の氏神として代々崇拝されてきた。
てなわけです(笑)見るとこ美しくまとまった神社です。
拝殿
相馬氏発祥の地の石碑
杉が美しかったもので。
参道入口
鳥居
手水舎
拝殿ななめから
本殿
末社
けっこう立派です。
下には祈祷殿がありました。その近くに社務所があります。
例祭・神事
野馬追(のまおい)
毎年7月23日から三日間に渡って、馬を使った様々な神事をする祭礼です。
この祭礼は相馬地域に鎮座する妙見信仰の神社「相馬中村神社」「相馬太田神社」「相馬小高神社」の合同でおこなわれます。
初日には「宵乗り(よいのり)」と呼ばれる日本伝統の競馬の再現が行われます。
二日目の本祭りでは「神旗争奪戦(しんきそうだつせん)」がおこなわれ、馬に乗った武者たちが神旗を奪い合います。
最終日には奉納する馬を若者たちが素手で捕まえる「野馬懸(のまがけ)」がおこなわれます。
野馬追は国指定重要無形民俗文化財にも指定されており、全国から多くの方が観覧に訪れます。
野馬追の歴史
その歴史は古く、この地を治めていた武士の相馬氏が伝統的におこなってきました。その原型は相馬氏の先祖にあたる平将門に始まると伝えられています。
江戸時代には、祭礼と称して幕府の目を盗み、武芸を練習する場であったとも言われています。
相馬氏の武士道を今に伝える貴重な祭礼となっています。
礼螺吹奏(れいがいすいそう)
歴史
由緒
今の茨城県の守谷市の一帯を治めていた相馬氏が、1323年(元亨3年・鎌倉時代末期)に今の福島県南相馬市に移住したときに、氏神として神社を創建したのが始まりです。以降も武士として栄えた相馬氏に厚く崇敬された歴史があります。子孫繁栄や家畜の神様としても信仰されています。
立て札
御由緒
一、鎮座地 原町市中太田字館腰一三九番
一、御祭神 天之御中主大神
一、御祭日 七月二十四日例大祭(野馬追祭)
当社は今を去る六百八十余年前元亨三年四月二十二日茨城県守谷城より相馬孫五郎重胤公が御国換えの際、氏神とし持ち来たり祀られたもので相馬の発祥地なり、霊験あらたかにして生とし生けるもの物は其の御分霊受けて居り神人、万物の生死栄枯はことごとく、其の司宰にももるる事なく福祉を万民にたれ給い信仰なければ富貴延命を保ち長く子孫繁栄し牛馬家畜の守護神でもある。相馬太田神社の立て札より
名称 | 相馬太田神社 |
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読み方 | そうまおおたじんじゃ |
通称 | 妙見様 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
絵馬 | あり |
巡礼の詳細情報
神玉巡拝 奥州相馬神玉巡拝 |
---|
詳細情報
ご祭神 | 《主》天之御中主大神 |
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創建時代 | 1323年(元亨3年) |
創始者 | 相馬重胤 |
文化財 | 野馬追(のまおい・国指定重要無形民俗文化財) |
ご由緒 | 今の茨城県の守谷市の一帯を治めていた相馬氏が、1323年(元亨3年・鎌倉時代末期)に今の福島県南相馬市に移住したときに、氏神として神社を創建したのが始まりです。以降も武士として栄えた相馬氏に厚く崇敬された歴史があります。子孫繁栄や家畜の神様としても信仰されています。 |
体験 | 御朱印祭り武将・サムライ |
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