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けんしょうじ|真言宗智山派天光山

賢沼寺(沼ノ内弁財天)の御由緒・歴史
福島県 草野駅

ご本尊大日如来
辨財天
創建時代807年(大同2年)
開山・開基徳一
ご由緒

【 建立と移転 】
弁財天を祀る堂が807年(大同2年)に徳一大師によって建てられ、海東小太郎清衡の開基によるものであると伝えられます。
その後、永享3年(1430年)に光蔵律師という奈良興福寺法相宗の僧侶によって現在の場所に移されました。
【 楼門の建築と特徴 】
楼門は市の有形文化財であり、賢沼寺(密蔵院)の境内に位置する弁財天の山門です。
延享4年(1747年)に、内藤備後守政樹の代に建築が始まり、翌年に完成しました。
建築は大工棟梁の平鎌田の杢七と、木挽きの甚三郎によって行われ、そのことが棟札に明記されています。
【 楼門の構造と装飾 】
この楼門は一戸楼門であり、以前は柿葺きでしたが、現在は銅板葺きになっています。
地方色豊かな技法が用いられており、建築様式は和様と禅宗様の折衷様式。
構造性よりも意匠的な面が重視され、技法も大胆に取り入れられています。
正面の両脇には、内藤備後守政樹の寄進による、風神「風の三郎」と雷神「雷の五郎」が配されています。
【 賢沼弁財天堂と賢沼 】
賢沼弁財天堂では「木像彩色八辟青龍辨財天像」が祀られており、この堂は別当として管理されています。
また、賢沼という場所は隣接しており、昭和14年(1939年)に文部省によって「天然記念物賢沼ウナギ生息地」として指定されています。
賢沼では天然の大ウナギが生息していると伝えられています。

歴史
歴史[編集] この寺は、807年(大同2年)に徳一によって建てられた弁財天を祀る堂に始まると伝えられる。江戸時代は磐城平藩の庇護を受け、本堂や山門などが改修された。山門の彫刻は左甚五郎の作とされる彫り物が残されている。東照宮の建設と同時期の建築と考えられている。
引用元情報賢沼寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%B3%A2%E6%B2%BC%E5%AF%BA&oldid=89383154

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