御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定切り絵御朱印大バナー2024年11月四天王寺聖徳太子1400年限定切り絵御朱印大バナー2024年11月
高野坂観音堂ではいただけません
広告
御朱印について
御朱印
-
パーキング
駐車場
-

その他の巡礼の情報

磐城三十三観音霊場第26番札所(高野坂観音)※御朱印は渡辺氏宅で

写真

このお寺の写真はまだ投稿されていません。

初めての写真を投稿しませんか?

投稿する
名称高野坂観音堂
読み方こうやざかかんのんどう

詳細情報

ご本尊聖観世音菩薩
宗旨・宗派
開山・開基徳一
ご由緒

【 歴史と建造 】
地名にちなんで高野坂観音と呼ばれるようになった時期は定かではありませんが、棟札によれば元禄12年(1699年)にはお堂のかや屋根がふき替えられ、その11年後には薬王寺の法印日元和尚と地元照林寺の住職祐一元和尚が地元の信者と共に御本尊聖観音の大供養を行っています。
当時、北神谷には観音を信仰する男女の念仏講があり、元禄12年(1699年)の7月には16回も集まったとされます。
多分その年に行われた観音堂の屋根替え工事に参加したのかもしれません。
【 建替えと信仰の盛んさ 】
寛政9年(1797年)に観音堂を建て直し、それから31年後の文政11年(1828年)に再び建て替えられたことから、当時の観音信仰の盛んさがうかがえます。
明治32年(1899年)と大正6年(1917年)には屋根替えが行われ、大正11年(1922年)には屋根替えに加えて御本尊の修理も行われました。
御本尊は像高約60cmの聖観音で、左手に握っている蓮華こそ失われていますが、赤味を帯びた材料を使用した白木の一木造りで、黄金色の光背を背負っています。
御尊顔は優しく素朴な造りの中に気品が含まれています。
【 巡礼の碑 】
境内の右側には、安永10年(1781年)に神谷村の祖右衛門という人が西国三十三札所・坂東三十三札所・秩父三十四札所の百札所巡拝を終えた記念の碑が建っています。

体験御朱印札所・七福神巡り
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ