じょうにちじ|真言宗智山派|湯應山
浄日寺の編集履歴
ご由緒
浄日寺の伝承によると、1452年から55年の享徳年間、稲荷大明神を信仰する僧侶、浄海が作入という地に万病に効く霊泉があるとのお告げを受け、庵を建てたことが始まりとされます。
その後、湯上大明神と崇拝された浄日寺は、薬王寺の末寺として発展していきました。
この伝承でいわれる霊泉は、昭和18年(1942年)頃まで、遠くから訪れる湯治客で賑わいました。
本堂は、明治18年(1885年)に発生した火災で庫裡と共に焼失し、その頃、白土で廃寺になっていた元竜沢観音の別当寺である大竜寺の本堂を譲り受けて再建しました。
現在の本堂は、大正14年(1925年)に新築され、本尊には不動明王が祀られています。
境外にある薬師堂には、薬師如来、日光・月光菩薩、持国天、多聞天が安置されており、いずれも藤原様式の仏像で、福島県重要文化財に指定されています。
また、漁民に信仰される大日堂も、浄日寺の境外堂として知られています。
編集前:浄日寺の伝承によると、享徳年間(一四五二~五五)の頃に、稲荷大明神を信仰する浄海という僧侶が、作入という地に万病に効く霊泉がある、というお告げによって庵を建てたのが始まりであり、その後、湯上大明神と崇拝された浄日寺は、薬王寺の末寺として発展していった。
この伝承でいわれる霊泉は、昭和十八年(一九四二)頃まで、遠くから訪れる湯治客で賑わった。
本堂は、明治十八年(一八八五)に起った火災によって庫裡共に焼失し、 その頃、白土で廃寺になっていた元竜沢観音の別当寺大竜寺の本堂を譲り受けて再建した。現在の本堂は、大正十四年(一九二五)に新築され、本尊には不動明王が祀られてある。
境外にある薬師堂には、薬師如来、日光・月光菩薩 持国天多聞天が安置されあり、いずれも藤原様式の仏像で、福島県重要文化財に指定されている。
また、漁民に信仰される大日堂も、浄日寺の境外堂になっている。