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2023年05月14日(日) 10時34分 byダイコン
編集前
光照寺の開山は定かではないが、諸事頃から判断すると、慶長年代(一五九六~一六一五)以前に存寺していたと思われる。嘉永三年(一八五〇)に火を発し、近在を類焼のうえに記録を失ってはいるが、かっては薬王寺の末寺であり、四ヶ寺ほどの末寺(門徒寺)もあった。 現本堂は、昭和三十三年に建立され、現在に至っている。 慶安元年(一六四八)に徳川三代将軍家光公より御朱印五石の寺領地を賜わり、以後、歴代前規に従って拝領してきた。 寛永十九年(一六四二)午の月、午の日に日光大権現が境内に勧請され、宝永二年(一七〇五)に権大僧都堅貞和尚の代に、この日光大権現を再建して当時の守護神としたが、明治の神仏分離令によって二荒神社として分かれた。 本尊の仏尊像は大日如来で、災禍のためか傷み煤けている。 並んで祀られている愛染明王は、躰内にある記録から、天文五年(一五三六)二月十一日に入仏開眼供養がなされている。 当寺の宝としては絹本弘法大師御影画像があり、弘法大師の自画像であると伝えられている。 境内に大銀杏二本が屹立し、樹齢推定四二〇年といわれている。 周囲には孟宗竹が林立し、深閑とした環境である。
編集後
光照寺の開山は定かではないが、諸事頃から判断すると、慶長年代(1596〜1615)以前に存寺していたと思われます。 嘉永3年(1850)に火を発し、近在を類焼のうえに記録を失ってはいますが、かつては薬王寺の末寺であり、4ヶ寺ほどの末寺(門徒寺)もありました。 現本堂は、昭和33年(1958)に建立され、現在に至っています。 慶安元年(1648)に徳川三代将軍家光公より御朱印5石の寺領地を賜わり、以後、歴代前規に従って拝領してきました。 寛永19年(1642)午の月、午の日に日光大権現が境内に勧請され、宝永2年(1705)に権大僧都堅貞和尚の代に、この日光大権現を再建して当時の守護神としましたが、明治の神仏分離令によって二荒神社として分かれました。 本尊の仏尊像は大日如来で、災禍のためか傷み煤けています。 並んで祀られている愛染明王は、躰内にある記録から、天文5年(1536)2月11日に入仏開眼供養がなされているとされています。 当寺の宝としては絹本弘法大師御影画像があり、弘法大師の自画像であると伝えられています。 境内に大銀杏2本が屹立し、樹齢推定420年といわれています。 周囲には孟宗竹が林立し、深閑とした環境です。