ぼんのんじ ふえがもりかんのんどう|曹洞宗
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梵音寺(笛ヶ森観音堂)の編集履歴
2023年05月17日 18時46分
ご由緒
【 笛ケ森観音の由来 】
平・下荒川の龍門寺に伝わる「龍雑記」によると、中世のいわきを支配した岩城則道公から五代の孫である隆行公の三男である磐前三郎隆久が下船尾に居城し、正和2年(1313年)の3月15日に亡くなったため、その子である忠隆が領主の地位を継承しました。
しかし、忠隆は建武4年(1337年)の10月9日に亡くなり、笛ケ森に葬られたとされています。
笛ケ森は下船尾の山の南端に位置し、標高約150mほどの高さを持ち、北側以外の三方向からの眺望が広がります。
この場所は舘にとって最適な場所と言えるでしょう。
【 笛ケ森観音と堂内 】
笛ケ森観音はその頂上に祀られており、表参道・中参道・裏参道の三つの山道があります。
近年整備された中参道が最も近道で、約7分の登りの距離です。
堂内では中央に如意輪観音が祀られ、その左右に32体の千手観音が如意輪観音を守護しています。
また、後方には一回り大きな釈迦像が祀られていますが、これは後世に追加されたもののようです。
これらの像はすべて木造寄せ木造りです。
【 別当寺の変遷 】
お堂に残された棟札によると、享保11年(1726年)まではお堂のすぐ下に「海福山慈眼寺」が別当寺として存在していましたが、安永7年(1778年)の棟札以降、慈眼寺の名前は見られません。
現在、お堂を守っているのは船尾山の梵音寺です。
梵音寺では一堂に三十三仏を祀り、参詣者がすべての仏を訪れることができるようになっています。
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