こんこうじ|真言宗智山派|至玉山
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金光寺の編集履歴
2023年05月13日 22時44分
ご由緒
金光寺は、天平十五年(七四三)に河内国の地蔵房応一上人が開山した。
この時、応一上人は八躰の地蔵菩薩を彫刻し、四倉の八ヶ所に安置したといわれている。
その後、建長四年(一二五二)に近江国竹生島から下向した法印理密が当山に住し、奉持した竹生島弁財天の分霊を祀るための祠を造ろうとした時、美玉如意宝珠を堀りあてたので、山号を至玉山と名付けた。
享徳年間(一四五二~一四五五)に、阿弥陀堂と田畑山林が岩城氏より寄進された。 この堂宇に祀る如来像は、岩城隆忠の次弟隆治が館を築くときに現われた尊像であり、盧遮那山金光寺と号するように なった。
天文年間(一五三二~一五五五)に恵日寺の末寺となった金光寺は、寛永年間(一六二四~四 四)の法印勝賀代に本堂を焼失し、宥隆代に再建した。
しかしその後、明治戊辰戦争での兵火によって再び焼失し、大正九年(一九二〇)に再建され、現在に至っている。
本尊は大日如来で、安政年間(一八五四~六〇) 頃の作といわれている。 その他に、不動明王、弘法大師・興教大師像が祀られており、両大師とも京仏師岡本右近作である。
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