ほうとくいん|真言宗智山派|青木山
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宝徳院の編集履歴
2023年05月14日 13時30分
ご由緒
宝徳院は、宝徳3年(1451)に常陸国佐久山氏出の宥徳上人によって開創され、宝徳の年号から宝徳院と名付けられました。
その後、慶長13年(1608)に宝徳院は末寺74ヶ寺を有し、徳川三代将軍家光より御朱印30石を下賜されましたが、明治に起こった神仏分離令によって廃寺となりました。
廃寺となった宝徳院は、大正6年(1917)に川崎大師佐伯隆連大僧正の尽力をうけて再興され、現在に至っています。
本尊の弘法大師像は、開山宥徳上人が高野山から招来したと伝えられ、慶安2年3月21日正御影供に迎えた御厨子に安置され、古くから厄除け開運の利益をもって篤く信仰されています。
また、昭和24年には川崎大師分霊場が開かれ、さらに厄災消除・開運招福の寺院として信仰を集めています。
編集前:宝徳院は、宝徳3年(1451)に常陸国佐久山氏出の宥徳上人によって開創され、宝徳の年号から宝徳院と名付けられました。
その後、慶長13年(1608)に寶徳院は末寺74ヶ寺を有し、徳川三代将軍家光より御朱印30石を下賜されましたが、明治に起こった神仏分離令によって廃寺となりました。
廃寺となった宝徳院は、大正6年(1917)に川崎大師佐伯隆連大僧正の尽力をうけて再興され、現在に至っています。
本尊の弘法大師像は、開山宥徳上人が高野山から招来したと伝えられ、慶安2年3月21日正御影供に迎えた御厨子に安置され、古くから厄除け開運の利益をもって篤く信仰されています。
また、昭和24年には川崎大師分霊場が開かれ、さらに厄災消除・開運招福の寺院として信仰を集めています。
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