御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年11月四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年11月
鮫川観音堂ではいただけません
広告
御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
-

その他の巡礼の情報

磐城三十三観音霊場第12番札所(鮫川観音)※御朱印は篠原家

写真

このお寺の写真はまだ投稿されていません。

初めての写真を投稿しませんか?

投稿する
名称鮫川観音堂
読み方さめがわかんのんどう
御朱印あり

限定御朱印なし

詳細情報

ご本尊十一面観世音菩薩
宗旨・宗派
ご由緒

【 かつてあった岸正寺 】
現在の観音堂の地所には、宝永年間(1704年-1711年)以来、岸正寺(がんじょうじ)という観音様を祀る寺が建っていましたが、再度の火難にも遭いました。
その後再建されたものの、江戸時代の末期にはすでに無住の寺となっていました。
【 神仏分離令と排仏毀釈 】
明治元年(1868年)を迎え、神仏分離令が施行されました。
また、この地にあった泉藩の徹底した排仏毀釈も寺院に影響を与え、寺院などには武士階級の者が住まわせられるようになりました。
【 再建と本尊の変遷 】
明治8年の字限図によれば、現在の観音堂が建てられた場所は、角多久一の所有地であり、そこには「かつては両村によって建てられた観音の地とされますが、本多能登守藤原忠紀の家来である角多久一が拝領しました」との記述があります。
したがって、明治8年当時には既に観音堂は取り壊されていたのです。
この由緒に触発された地域の旧家の方が、明治40年8月に現在の観音堂を再建し、由緒に従って十一面観音を祀りました。
さらに昭和7年に至って、光り輝く黄金色の木造寄木造りの像で、約60cmの高さを持つ十一面観音が本仏として祀られるようになりました。
【 旅人の守護者 】
かつての浜街道では、明治5年まで鮫川を船で渡る必要がありました。
そんな難所に、人々を水難や火難、そして虫毒からも守るために、十一面観音が鎧を纏って立ちました。
旅人たちの安全な旅を見守る役割を果たしました。
御詠歌「くもさめ川」は、苦しみも鎮められる聖なる鮫川を指しています。

体験御朱印札所・七福神巡り
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ