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やくおうじ|真言宗智山派延寿山

薬王寺の編集履歴
2023年05月14日(日)
福島県 小川郷駅

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ダイコン
2023年05月14日 13時23分

ご由緒

薬王寺は、大同年間 (806~810) に八茎岳薬師の別当として開山されました。
この頃、磐城三薬師といわれる、赤井岳・八茎岳・波立が東国に下向した徳一大師によって開創されています。
永仁3年(1295) に真言宗の高僧禅弁が入山しましたが、南北朝中期頃からその勢力が衰徴しており、文安3年(1446) には岩城隆忠が鏡祐法印を中興開山として迎え、自らが開基となって、薬王寺の再興につとめました。
永禄10年 (1567) に岩城親隆より白岩村堂井を寄進され、文禄五年(1596) には作竹義憲から寺領百石を下賜され、162の末寺を擁し、御朱印50石を賜わりました。
しかし、明治戊辰戦争では笠間藩兵の陣屋となり、7月3日に攻戦する平藩兵によって48の伽藍諸堂はすべて天燼に帰しました。
その後、明治30年(1897)に古寺を移築して仮本堂を再建しましたが、昭和61年の祝融による残火で焼失しました。
現在の本堂は平成5年に落慶され、本堂の裏にある宝蔵庫には、数点の重要文化財が保存されています。

編集前:薬王寺は、大同年間 (806~810) に八茎岳薬師の別当として開山された。
この頃、磐城三薬師といわれる、赤井岳・八茎岳・波立が東国に下向した徳一大師によって開創されている。
永仁三年(1295) に真言宗の高僧禅弁が入山したが 、 南北朝中期頃からその勢力が衰徴し 、 文安三年(1446) には岩城隆忠が鏡祐法印を中興開山として迎え、自らが開基となって、薬王寺の再興につとめた。
永禄十年 (1567) に岩城親隆より白岩村堂井を寄進され、文禄五年(1596) には作竹義憲から寺領百石を下賜され、百六十二の末寺を擁し、御朱印五十石を賜わった。
しかし、明治戊辰戦争には笠間藩兵の陣屋となり、七月三日に攻戦する平藩兵によって四十八の伽藍諸堂はすべて天燼に帰した。
その後、明治三十年(1897)に古寺を移築して仮本堂を再建したが、昭和六十一年の祝融による残火で焼失した。
現在の本堂は平成五年に落慶され、本堂の裏にある宝蔵庫には、数点の重要文化財が保存されている。

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