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2023年05月18日(木) 13時55分 by辰昇
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【 石森観音の歴史と火災 】 石森観音の旧観音堂は六間四方の大きさを持っていました。 しかし、明治25年陰暦7月31日、偶然にも赤井嶽薬師の祭礼の日に、信者が不始末なタバコ火を投げてしまい、瞬く間にお堂は紅蓮の炎に包まれました。 この火災により、御本尊の千手観音はもちろん、泉守根本国虎作の宝刀も焼失してしまいました。 【 御本尊とカヤの木 】 当時の御本尊は石森山に生えていたカヤの大木を使用し、高さ一丈三尺の木造りの千手観音でした。 御本尊の腹胎の中には一寸八分の純金製の観音仏が納められていたと伝えられています。 カヤの木で作られた御尊像を記念して、地元の四ッ波部落では今でもカヤの木を建築に使用しないという掟が残っています。 【 忠教寺と観音堂の建立 】 忠教寺は文禄2年(1593年)に岩城貞隆公が建立した寺ですが、観音堂は元和8年(1622年)に、藩主内藤政長公が城内での謀叛が続いたため、城の鬼門にあたる現在地に堂宇を建て、千手観音を祀ったと伝えられています。 現在の観音堂は大正2年に再建されました。 堂内には焼けた旧御本尊と、像高約60cmの黄金色の千手観音が一緒に安置されており、以来滅多に御開帳されていません。 【 観音堂の建立場所 】 なお観音堂が建っていた場所は、昔はいまのところではなく、ふもとの四ッ波部落とも言われています。 しかし、その場所が具体的にどこだったのかは、古い時代のことで知る者はもはや存在しません。
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