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つつこわけじんじゃ(やつき)

都々古別神社(八槻)の御由緒・歴史
福島県 近津駅

ご祭神《主》味耜高彦根命,《配》日本武尊
ご由緒

『延喜式神名帳』の陸奥国白河郡鎮座の「都々古別神社」の論社の一社。陸奥国江戸時代から、久慈川沿いに並んで鎮座する馬場都々古別神社・近津神社と合わせて「近津三社」と呼ばれているこの八槻都々古別神社は、そのうちの中之宮にあたります。伝承によると、日本武尊(やまとたけるのみこと)が八溝山にて苦戦を呈していた折、守護三神が現れ建鉾山より箭 (矢)を放ちました。その箭 (矢)が落ち着いた場所を「箭津幾(やつき)」とし都々古別神社を創建、勝利を祈願したと伝えられています。農耕を司る神が祀られており、毎年旧暦1月に奉納される能・狂言風の舞「御田植祭」は、五穀豊穣を祈る神事で、国指定の無形民俗文化財となっています。国の重要美術品に指定されている木造十一面観音立像や同鉢など、貴重な文化財が多く残されています。また参堂の左側には、夫婦のように寄り添って立つ杉があり、縁結びの杉として知られています。

歴史
歴史[編集] 創建[編集] 創建について、馬場社・八槻社とも縁起において景行天皇(第12代)の時に皇子の日本武尊による起源伝承を伝える[1]。その真偽は詳らかでないが、伝承(各社項目参照)に見える建鉾山(たてほこやま:都々古山/高野峯山/鉾立山/立鉾山、福島県白河市表郷三森、北緯37度3分14.75秒 東経140度19分42.90秒)は、5世紀代の東北地方有数の祭祀遺跡として知られる[2]。建鉾山山頂には「立鉾石」と称する磐座があり、この磐座を対象として祭祀が行われたと見られ、山麓には現在も関係社の都々古和気神社が鎮座する[2][3]。馬場社・八槻社には祭神(味耜高彦根命)や神事の面で...Wikipediaで続きを読む
引用元情報都々古別神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%83%BD%E3%80%85%E5%8F%A4%E5%88%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=100968045

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