おかべかすがじんじゃ
岡部春日神社~👹鬼門よけの🌺花咲く🌺やしろ~の御由緒・歴史
歴史詳細情報
岡部春日神社の創建
鎌倉時代 建武4年(1337)北畠顕家卿が霊山に拠する時、家臣の《間山十太夫》様が、岡部の前山南部に建立しました。
岡部春日神社の略歴
時代 年代 西暦 | 歴史 |
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鎌倉時代・・建武4年(1337) | 後醍醐天皇の御代 北畠顕家卿が霊山に処する時、家臣の間山十太夫様が、岡部の前山南部に建立する。 |
江戸時代・・元文元年~5年(1736-40) | 社殿が崩れ落ちた為、現地「新山」に造営遷座する。当所は板倉城の鬼門に位置する為、藩公は宝剣を献じ、天下安穏、領民安泰を祈った。 |
・・文化10年(1813) | 盗賊の火で社殿焼失する。 |
・・文政10年(1827) | 業化によりすべてことごとく焼け落ちる。 |
・・天保7年(1836) | 盗賊の火で社殿焼失する。 |
・・弘化3年(1846) | 拝殿再建する。 |
明治時代・・明治5年7月 | 村社となる。 |
・・明治14年春 | 神輿新調及び石灯籠2基を造る。 |
・・明治26年春 | 伯爵勝芳(勝海舟)謹書の扁額(社名額)を作成する。 |
・・明治28年(1895) | 本殿・幣殿・社務所を建築する。 |
・・明治32年 | 華表(鳥居)を建立する。 |
氏子の崇敬
岡部春日神社は、江戸時代に現在の鎮座地に遷座する時には、村民力を合わせて行ったと《信夫郡村史》に記されている。
准社掌(じゅんしゃしょう) 髙惟一(こうの ただいち)が、明治5年8月に氏子札を発行している。氏子札には、住所・親の名前・氏名・出生日が木札に記されている。
氏子の篤い崇敬を受けていた社掌(しゃしょう) 阿部忠太(あべ ちゅうた)頌徳碑(しょうとくひ)《遐寿無彊(かじゅむきょう)が、大正8年3月境内地内に建立されている。
現在10月第3日曜の例大祭には、氏子地域を巡る《神輿渡御》が太鼓山車・稚児・伶人・猿田彦と共に行われている。9カ所の御旅所では、氏子の熱い接待を受ける伝承が現在でも引き継がれている。
■□死霊(しれい)神社□■ 境内地内
- ○伝承 (福島市文化財調査報告書 第八集・民族資料 口頭伝承)より
岡部のある地域のある家の先祖は、関東の落ち武者で、一族郎党を連れこの地に移り住んだ。当時そこに住んでいた長袖(祈祷師か神官)と争議を起こし、長袖を負かした。すると長袖は非常に怒り『一族は皆黒土にしてしまい、八代まで呪ってやる』と云っていずこともなく去って行った。それからというもの、一族の家から次々と家事を起こし、火事といえば一族の住む地域かと言われるほどの火事があり、災難が絶えず、近所にも迷惑をかけた。そこで、神おろし(占い)をして聞いた所、《長袖のたたり》と言われたので、一族の二人のお婆さんが発起人となり、一族皆で相談し『権現様としてお祀りするから火事を出さないようにして下さい』とねんごろに供養して長袖の霊を慰めた所、それ以後あまり火事が無くなったと年寄りから伝えられている。祭礼日は旧2月8日 火防・家運隆盛を祈願。現在は春日神社の境内社として祭られている。 昭和45年3月発行 一部省略
- ○大火事 大正6年4月2日正午 一族の住む地域より出火。一族の地域7戸を連焼、岡島まで延焼、中島6戸、岡本7戸を灰鳥に帰す。鹿島神社も類焼す。実に当地開闢以来の大火たり。夕刻鎮火す。(常円寺光雄和尚記) この時、村では3日間炊き出しをおこない、小屋掛けし農具の給与を行う、と村の記録にある。
- ○縁起
- 江戸時代天明初期(1781)『死霊権現』として一族の部落に祀る。
- 大正4年(1915)春日神社 境内地に遷座する。
- 昭和25年(1950)『春日神社』と改称し碑を建遷する。
ご祭神 | 武甕槌命(たけみかつちのみこと)、 経津主命(ふつぬしのみこと)、 天津児屋根命(あめのこやねのみこと)、 比賣神(ひめがみ) の四柱 | |
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ご神体 | 本殿 | |
創建時代 | 1337年(建武4年) | |
創始者 | 間山十太夫(まやまじゅうだゆう)《北畠顕家卿の家来》 | |
ご由緒 | 鎌倉時代の建武4年(1337)に北畠顕家(きたばたけあきいえ)卿(きょう)が霊山に居る時に、
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