いおうじ
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医王寺ではいただけません
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医王寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年10月08日(火)
参拝:2023年9月吉日
山号は瑠璃光山、寺号は医王寺、宗派は真言宗豊山派、ご本尊は薬師如来、奥州三十三観音霊場 特別札所、奥の細道 みちのく路三十三ヶ所霊場 第二十七番札所、北國八十八ヶ所霊場 第十七番札所、奥羽三十六薬師霊場 第十七番札所、中世初期に信夫郡を支配した佐藤氏の菩提寺、医王寺は826(天長3)年、弘法大使御作の薬師如来像を勧請し、草庵を建てたことに始まると伝えられ、当地の名を付し鯖野薬師ともいわれています。
また、奥州藤原氏の一門であり飯坂をおさめていた佐藤一族の菩提寺で奥州三十三観音特別霊場にもなっています。
1689(元禄2)年5月「奥の細道」の途中、医王寺を訪れた松尾芭蕉は、身代わりとなって主君を守った佐藤兄弟を偲び「笈も太刀も五月にかざれ紙幟」の句を詠みました、更に医王寺に残る悲しくも愛情に満ちた「中にも2人の嫁がしるし先づあはれなり、女なれどもかひがひしき名の世に聞えつるものかなと袂(たもと)をぬらしぬ」とし「笈も太刀もさつきにかざれ紙のぼり」と詠んだ句を残しました。
一説によると、芭蕉が旅の中で感涙の涙を流したのは全部で4回といわれていますが、その一つがこの医王寺で流した涙だと言われております。寺院内に芭蕉の句碑、瑠璃光殿では、県重要文化財や市指定有形文化財など多数の宝物をご覧いただけます。源義経が佐藤基治に形見に与えられたと伝えられる着物の端切れや、佐藤継信・忠信兄弟にまつわる物、弁慶が奉納したと伝えられる笈(おい)や義経の愛用品など多数展示されています
また、奥州藤原氏の一門であり飯坂をおさめていた佐藤一族の菩提寺で奥州三十三観音特別霊場にもなっています。
1689(元禄2)年5月「奥の細道」の途中、医王寺を訪れた松尾芭蕉は、身代わりとなって主君を守った佐藤兄弟を偲び「笈も太刀も五月にかざれ紙幟」の句を詠みました、更に医王寺に残る悲しくも愛情に満ちた「中にも2人の嫁がしるし先づあはれなり、女なれどもかひがひしき名の世に聞えつるものかなと袂(たもと)をぬらしぬ」とし「笈も太刀もさつきにかざれ紙のぼり」と詠んだ句を残しました。
一説によると、芭蕉が旅の中で感涙の涙を流したのは全部で4回といわれていますが、その一つがこの医王寺で流した涙だと言われております。寺院内に芭蕉の句碑、瑠璃光殿では、県重要文化財や市指定有形文化財など多数の宝物をご覧いただけます。源義経が佐藤基治に形見に与えられたと伝えられる着物の端切れや、佐藤継信・忠信兄弟にまつわる物、弁慶が奉納したと伝えられる笈(おい)や義経の愛用品など多数展示されています
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