こくらぎおんやさかじんじゃ
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小倉祇園八坂神社ではいただけません
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小倉祇園八坂神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年12月22日(木)
参拝:2022年10月吉日
小倉城🏯と八坂神社
過去参拝記録と家族の記録
母さん、今日小倉に行くっちゃね
小倉祇園八坂神社
御祭神
(北殿 )
櫛名田比売命 須佐能袁命
天之菩卑命 天之忍穂耳命
天津日子根命 活津日子根命
熊野久須比命 宗像三女神
(南殿 )
大名牟遅命 少比古那命
須佐之男命 櫛名田比売命
創建 清和天皇貞観12年(870年)
社格等 県社
明治6年5月15日
1617年、小倉藩初代藩主・細川忠興公が、小倉藩の総鎮守として鋳物師町(いもじまち)に、京都の祇園祭を模して小倉祇園として祀られたのが始まりです。
忠興公は、愛宕山の祇園社を南殿に、古船場町の祇園社を北殿とし、一つの大きな神社を造ったため、本殿は一つに見えますが、中では二つの祇園様がまつられています。 二つの祇園様を一緒にまつっている神社は、全国的にもとても珍しいものです。
また、小倉城から八坂神社へ抜ける道から見える花崗岩で出来た石鳥居は福岡県の指定文化財で、笠木と呼ばれる上部の横木三層が一つの石で作られています。 この鳥居は室町時代に造られたと言われています。
愛宕山へ鷹狩に出た細川忠興公が、小さな祇園社の祠の中のご神体(まつられている神様)を見るため、扉をこじ開けようとしたとき、中から一羽の鷹が飛び出し、忠興の目を蹴りました。 失明同然となった忠興は、神様に失礼なことをした罰だと深く反省し、祠を立派な神社に建て替えました。するとまもなく、忠興の目は見えるようになりました。 忠興の重臣だった平内入道は、神社に忠興の回復祈願をし、回復後の1618年(元和4年)に神社に石造りの燈籠を贈りました。 現在、この燈籠は福岡県指定文化財とされています。燈籠は本殿の中にあるため、見ることは出来ませんが、復元されたものが参道の両脇にあります。左右で形が少し違うのは、南殿と北殿に一つずつおさめられたためです。
1868年、神仏分離令により祇園社から八坂神社に改称。1934年、小倉城内の現在地に遷座し現在に至ります。
小倉祇園祭は400年の歴史を持つ八坂神社の夏祭りです。 祇園太鼓の激しい独特の音は、天下泰平、護国安全、悪疫退散、商売繁盛、護国豊穣(平和で、健康で、よりよい生活が出来ますように)などの願いを込めています。
また、八坂神社には小笠原藩にゆかりのある神輿が3体ありました。祇園祭のときには、神輿が町を練り歩く御神幸があります。3体のうち2体は長浜に、1体は平松に安置されました。
~北九州市HP・指定文化財より~
~・~・~・~
~市民力で小倉城に3万個の灯籠を~
令和4年11月2日(水)~6日(日)
小倉城は、福岡県で唯一の天守閣を持つお城で、天守閣の高さは全国のお城の中でも第6位、1階の床面積は全国有数の広さを持つ、大変立派なお城。「九州のすべての道は小倉に通ず」と言われた小倉は、九州各地からの交通の要衝として栄え、また九州各地を監視する役目を担った、重要な拠点でもありました。
「CNN Travel」の「2019年に訪れるべき19の場所」に小倉城を含む福岡県のエリアが日本で唯一選ばれました。
https://www.kokura-castle.jp/ より
福岡県北九州市小倉北区城内2-2
過去参拝記録と家族の記録
母さん、今日小倉に行くっちゃね
小倉祇園八坂神社
御祭神
(北殿 )
櫛名田比売命 須佐能袁命
天之菩卑命 天之忍穂耳命
天津日子根命 活津日子根命
熊野久須比命 宗像三女神
(南殿 )
大名牟遅命 少比古那命
須佐之男命 櫛名田比売命
創建 清和天皇貞観12年(870年)
社格等 県社
明治6年5月15日
1617年、小倉藩初代藩主・細川忠興公が、小倉藩の総鎮守として鋳物師町(いもじまち)に、京都の祇園祭を模して小倉祇園として祀られたのが始まりです。
忠興公は、愛宕山の祇園社を南殿に、古船場町の祇園社を北殿とし、一つの大きな神社を造ったため、本殿は一つに見えますが、中では二つの祇園様がまつられています。 二つの祇園様を一緒にまつっている神社は、全国的にもとても珍しいものです。
また、小倉城から八坂神社へ抜ける道から見える花崗岩で出来た石鳥居は福岡県の指定文化財で、笠木と呼ばれる上部の横木三層が一つの石で作られています。 この鳥居は室町時代に造られたと言われています。
愛宕山へ鷹狩に出た細川忠興公が、小さな祇園社の祠の中のご神体(まつられている神様)を見るため、扉をこじ開けようとしたとき、中から一羽の鷹が飛び出し、忠興の目を蹴りました。 失明同然となった忠興は、神様に失礼なことをした罰だと深く反省し、祠を立派な神社に建て替えました。するとまもなく、忠興の目は見えるようになりました。 忠興の重臣だった平内入道は、神社に忠興の回復祈願をし、回復後の1618年(元和4年)に神社に石造りの燈籠を贈りました。 現在、この燈籠は福岡県指定文化財とされています。燈籠は本殿の中にあるため、見ることは出来ませんが、復元されたものが参道の両脇にあります。左右で形が少し違うのは、南殿と北殿に一つずつおさめられたためです。
1868年、神仏分離令により祇園社から八坂神社に改称。1934年、小倉城内の現在地に遷座し現在に至ります。
小倉祇園祭は400年の歴史を持つ八坂神社の夏祭りです。 祇園太鼓の激しい独特の音は、天下泰平、護国安全、悪疫退散、商売繁盛、護国豊穣(平和で、健康で、よりよい生活が出来ますように)などの願いを込めています。
また、八坂神社には小笠原藩にゆかりのある神輿が3体ありました。祇園祭のときには、神輿が町を練り歩く御神幸があります。3体のうち2体は長浜に、1体は平松に安置されました。
~北九州市HP・指定文化財より~
~・~・~・~
~市民力で小倉城に3万個の灯籠を~
令和4年11月2日(水)~6日(日)
小倉城は、福岡県で唯一の天守閣を持つお城で、天守閣の高さは全国のお城の中でも第6位、1階の床面積は全国有数の広さを持つ、大変立派なお城。「九州のすべての道は小倉に通ず」と言われた小倉は、九州各地からの交通の要衝として栄え、また九州各地を監視する役目を担った、重要な拠点でもありました。
「CNN Travel」の「2019年に訪れるべき19の場所」に小倉城を含む福岡県のエリアが日本で唯一選ばれました。
https://www.kokura-castle.jp/ より
福岡県北九州市小倉北区城内2-2
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