おかめみょうじんじゃ
お亀明神社のお参りの記録一覧

【山口県 下関市】(おかめみょうじんしゃ)
下関市の「亀山八幡宮」内に位置します。
下関市が「馬関」といわれていた頃、亀山八幡宮は「島」だったそうです。「埋立」工事中に事故が多く「人柱募集」がなされました。この高札を「お亀」という遊女が町かどに立って見て「我が身を滅して功あるならば」と人柱に立ち、月夜の海に白衣に身をつつみ、海に身を投じて埋立の礎石となりました。その後「急潮」に悩まされる事もなく難工事も無事に終わり、時の人は境内にイチョウの木を植えお亀さんの功績を讃えました。これが「お亀イチョウ」です。
こちらの手水舎は、「亀山八幡宮」のものです。

おかめ明神(おかめみょうじん)
亀山八幡宮の境内にあります
池に亀もいますし至る所亀がモチーフに
なっているので亀の神様かと思いましたが
人神様でした
江戸時代初め、埋め立て工事がありましたが
関門海峡の流れは激しく工事が難航。
困った役人は海峡の流れを鎮めるための
人柱を募りました。
当時この辺りに花街があり
お亀という売れない遊女がおり
幼い頃にかかった天然痘のせいで
あばたが顔に残っていました。
このまま生きて身を汚すより
自分の命が役に立つならばと
自ら人柱となって海に身を投げました。
その後 海峡の流れは緩やかになり
工事は無事終了
人々はその功績を称えて銀杏の木を植え
お亀銀杏と呼ばれる様になったそうです。
空襲によりお亀銀杏は焼けてしまいましたが
焼け残った株から新しい芽が出
今では豊かに生い茂っています。
お亀銀杏は、秋にはたくさんの実を落し、
あばたの様な無数の斑点があった事から
「お亀銀杏」と呼ばれ
天然痘が流行した明治の頃
厄病除けのお守りとして求められました
今では無病息災 延命長寿のご利益があると
言われています。
埋めたてによって出来た土地は
広さが八丁(約8万㎡)あった事から
八丁浜と呼ばれ五穀祭で
「八丁浜えらやっちゃ(偉いやっちゃ)―」と
お亀さんの功績を称えた
八丁浜踊りもあるそうです。
祠のすぐ後ろに御神木があります
手水鉢も亀!
おかめ銀杏の御朱印^ ^
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