おおとみじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方大富神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年10月07日(火) 23時04分57秒
参拝:2025年10月吉日
六国史の一つである『日本三代実録』にて「従五位下 大富神」として神階授与の記録がある国史見在社です。宗像大神さまの神託により当地に創建され、後世には新たな神託により八幡大神さまと住吉大神さまを合祀しています。現在はその社名から「大きな富」をもたらす神社として崇敬を集めています。

《一の鳥居》

《二の鳥居》

《川縁の御幣》

《本参道》
参道が川沿いの鳥居から入り拝殿の右手につながる珍しい位置に参道があります。
参道が川沿いの鳥居から入り拝殿の右手につながる珍しい位置に参道があります。



《勅使井》
👁チェックポイント‼️
今年は宇佐神宮にて10年に一度の天皇陛下の勅使参向による臨時祭が行われました。大富神社はこの勅祭が行われる年にこの勅使井から水を汲み宇佐神宮へ奉納する「御神水汲神事」が行われています。
これはかつて当地に宇佐神宮の神宮寺(弥勒寺)があり、勅使参向の際に立ち寄り炊事や茶水としてとして利用していたことに由来します。
👁チェックポイント‼️
今年は宇佐神宮にて10年に一度の天皇陛下の勅使参向による臨時祭が行われました。大富神社はこの勅祭が行われる年にこの勅使井から水を汲み宇佐神宮へ奉納する「御神水汲神事」が行われています。
これはかつて当地に宇佐神宮の神宮寺(弥勒寺)があり、勅使参向の際に立ち寄り炊事や茶水としてとして利用していたことに由来します。

《手水舎》
水は流れています。洗ひつるここも…(略)
水は流れています。洗ひつるここも…(略)

《拝殿》
明治の近代社格制度では県社に列格し、現在は神社本庁下の別表神社に指定されています。国史見在社としての歴史もさることながら、宇佐神宮とその勅祭に関連することから高い社格を与えられたと思われます。
明治の近代社格制度では県社に列格し、現在は神社本庁下の別表神社に指定されています。国史見在社としての歴史もさることながら、宇佐神宮とその勅祭に関連することから高い社格を与えられたと思われます。

《御神水汲神事》
10月3日に行われています。
10月3日に行われています。

《本殿》

《感応楽》
当社には「感応楽」という太鼓踊りが伝承されています。これは当地が飢饉による疫病が流行した際に都から訪れた修行者に教えられた舞楽が起源であり、この舞楽を奉納したことで疫病が鎮静し、これに感謝した住民たちはその村人が三戸になるまで舞い続けると誓ったそうです。現在も国の無形民族文化財として継承されています。
当社には「感応楽」という太鼓踊りが伝承されています。これは当地が飢饉による疫病が流行した際に都から訪れた修行者に教えられた舞楽が起源であり、この舞楽を奉納したことで疫病が鎮静し、これに感謝した住民たちはその村人が三戸になるまで舞い続けると誓ったそうです。現在も国の無形民族文化財として継承されています。

《感応楽の奉納》
こちらは神社が変わりますが、10/6の宇佐神宮勅祭の途中で奉納された感応楽の様子です。御神水汲神事によって水を献上したあとも、祭りを盛り上げるために駆けつけていました。
こちらは神社が変わりますが、10/6の宇佐神宮勅祭の途中で奉納された感応楽の様子です。御神水汲神事によって水を献上したあとも、祭りを盛り上げるために駆けつけていました。

《授与所》
17時を過ぎていたため無人…というよりは今日はそれどころじゃなかったでしょうね。
17時を過ぎていたため無人…というよりは今日はそれどころじゃなかったでしょうね。

《参集殿》
宇佐神宮で感応楽を終えた後にこちらで直会が行われていました。お疲れ様でした。
宇佐神宮で感応楽を終えた後にこちらで直会が行われていました。お疲れ様でした。
すてき
投稿者のプロフィール

神祇伯1693投稿
どうも、全国の古い神社に出没するお稲荷さんの下僕です。ブログで参拝した神社の感想上げてます(9/7更新) 御朱印も集めてますが写真は載せない主義なので、戴けたところは順次報告&更新します。もっと読む
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。









