なかつかさまごたろういなりじんじゃ
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中司孫太郎稲荷神社ではいただけません
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中司孫太郎稲荷神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年12月09日(金)
参拝:2022年11月吉日
【筑前國 古社巡り】
中司孫太郎稲荷神社(なかつかさ・そんたろう・いなり~)は、福岡県福岡市中央区西公園にある神社。
当社の境内由緒書によると、鎌倉時代の開創で、当地・荒津山の歴史は古く、万葉集に多く詠まれた筑紫の要衝で、防人の船出した望楼があったとのこと。ネット情報によると、かつてあちらこちらに散在していた神社をここに集合させたものではないかとのこと。
当社は、福岡市地下鉄空港線・大濠公園駅の北北西800mの、海際の小山(西公園)の南東部、おそらく山頂付近の東斜面にある。旧県社で別表神社の光雲神社(てるも~)の北東側に隣接していて、はじめ光雲神社の境内社かと思ったが、社務所も別にあるため別神社であると思われる。当社の特徴は、傾斜地の狭い境内の中に細い参道が縦横に巡らされていて、そこに数十の鳥居が立ち、本社社殿を中心に、数十の小さな神社が寄せ集まっているところ。小さな石のみ、極小社のみの神社もあるので、神社数を正確にカウントすることもできなかった。神社名を読んで行くだけでもなかなか楽しめる神社。
今回は、光雲神社に隣接する神社であったことから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、光雲神社への参拝者の多くが流れて来ていたほか、昇殿参拝なのか、宮司さんの親戚の集まりなのか、拝殿内に十数人の老若男女が集まっていた。
光雲神社の北東にある、横参道の<鳥居>。はじめは光雲神社の境内社だと思って入った。
扁額には「正一位 中司孫太郎稲荷神社」とある。
扁額には「正一位 中司孫太郎稲荷神社」とある。
次の<鳥居>の扁額には「正一位 宇賀神社」とある。鳥居は昭和六年(1931年)造立。
横参道を進むと、やがて左手に現れる<社殿>。
<社殿>正面。扁額は「中司孫太郎稲荷神社」。社殿内にはご老人から子供まで、十数人が集まっている。和やかに談笑していて、雰囲気的には昇殿祈祷ではない感じ。
社殿右横の1つ目の<鳥居>。扁額は「中司孫太郎稲荷神社」。
鳥居の奥の様子。右手は「荒木稲荷神社」との表札がある。左奥にもたくさん小社が見えるが、社殿内の人々に怪しまれないよう参拝はパス。(^_^;)
社殿右側の2つ目の<鳥居>。扁額は「中司孫太郎大神」。昭和三十八年(1963年)造立。
一つ奥の<鳥居>は大正二年(1913年)造立。百年以上前で、かなり古い。
一つ奥の<鳥居>は大正二年(1913年)造立。百年以上前で、かなり古い。
社殿右横の3つ目の<鳥居>。扁額は「宇賀 中司孫一大神」。昭和四十五年(1970年)造立。
あれ? 祭神名が変わってる?(。´・ω・)?
あれ? 祭神名が変わってる?(。´・ω・)?
参道右側に小さな<手水舎>がある。
3つ目の鳥居の参道右手に、別の鳥居群が立っていて、別の参道が伸びているので進んでみる。
鳥居の扁額は「正一位 末司稲荷神社」。昭和三十五年(1960年)造立。
鳥居の扁額は「正一位 末司稲荷神社」。昭和三十五年(1960年)造立。
参道右側の<正一位 東京砂村 仙気稲荷大神>。立て掛けてある古い木札には、別の3つの大神が記されている。
参道左側の<末司大神>。さっきの鳥居の扁額と一致。
参道左側、奥の石碑には「菊~大神」、左下の金属板には「正一位 御陵大明神」とある。
こちらの石製小社は、表札だと「正一位 薬力・三太夫・白砂大明神」。神社幕付き。
こちらは木製小社に屋根と鳥居が付いている。扁額の文字が読みにくいが、たぶん<正一位 御陵稲荷・三浦稲荷・欽明稲荷大明神>。
参道左側、鳥居の扁額には「正一位 朝日丸大明神」とある。
参道の端にある<正一位 中司貫太郎神社>。あれ?親戚かな?(。´・ω・)?
こちらの鳥居から、低い場所を通る公道に降りてみる。
こちらの鳥居から、低い場所を通る公道に降りてみる。
公道から見た、<中司孫太郎稲荷神社>の正規の参道と鳥居。
公道から見た<社務所>の外観。
公道から見た、最初の横参道の外観。何とも言えないセンスの絵画が飾られている。(^_^;)
すてき
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惣一郎1269投稿
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