いなりじんじゃ
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稲荷神社ではいただけません
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稲荷神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2019年04月08日(月)
参拝:2019年4月吉日
★沖濵稲荷神社(福岡市博多区古門戸町)
<由来>
『筑前風土記』によると、安永6年5月2日、町内富山仁蔵という酒屋の大桶に星石が落ちたことを報じている。 恐らく隕石。
その石は宝珠石と称し、沖濱神社のご神体として、のちのち信奉されるようになった。 しかし戦災後行方不明。
太平洋戦争中の昭和二十年六月十九日の空襲により、戦災を受けるまでは、光照寿院(弘法大使堂)と共存し、広く博多地区の信仰をあつめていた。
古来の伝承によれば、この付近の海岸、澳の浜に、大同元年(八〇六年)唐より帰朝の第一歩を印した弘法大使(空海)が、船旅の疲れを醫すため、しばしまとろんだ処とされている。
その節の夢の中で、雲に乗った稲荷大明神が現れ、お告げあり「高野山に弘道の本拠を開くべし」とのことである。爾来当町では境内に「大師衣掛けの松」とて、代々松の木を守って来た。
<由来>
『筑前風土記』によると、安永6年5月2日、町内富山仁蔵という酒屋の大桶に星石が落ちたことを報じている。 恐らく隕石。
その石は宝珠石と称し、沖濱神社のご神体として、のちのち信奉されるようになった。 しかし戦災後行方不明。
太平洋戦争中の昭和二十年六月十九日の空襲により、戦災を受けるまでは、光照寿院(弘法大使堂)と共存し、広く博多地区の信仰をあつめていた。
古来の伝承によれば、この付近の海岸、澳の浜に、大同元年(八〇六年)唐より帰朝の第一歩を印した弘法大使(空海)が、船旅の疲れを醫すため、しばしまとろんだ処とされている。
その節の夢の中で、雲に乗った稲荷大明神が現れ、お告げあり「高野山に弘道の本拠を開くべし」とのことである。爾来当町では境内に「大師衣掛けの松」とて、代々松の木を守って来た。
すてき
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