てんしゃぐう・たいざんふくんしゃあと
天社宮・泰山府君社跡のお参りの記録一覧
安倍晴明の子孫である土御門家が応仁の乱を逃れたどり着いたところです。四方に鳥居を配置し儀式のする天壇があります、境内に入ると空気が一変したように感じました。天社宮・泰山府君社は室町時代から明治41年まで泰山府君をお祀りしていました
明治まで政府の内廷機関であり、天文学や暦道を専門とし、果ては呪術や占術を用いて日本の行く末を見ていた陰陽寮。明治の近代化によってその立場を追われ、現在はその福井県おおい町名田庄にてその技術を継承しています。現代においてサブカル文化にて認知度の上がり、陰陽師を自称する人も増えてますが、最も陰陽道を基本的な形で残していると言えるのではないでしょうか。
《一の鳥居》
扁額には「土御門総社」と書かれています。ちなみにですが現在土御門家は断絶していませんが陰陽道からは離れています。
もう一度言います。"離れて"います。基本的に土御門を自称する陰陽師は本物ではない可能性が高いです。
《ニの鳥居》
なんか色々な色の鳥居が見えます。
《由緒書き》
この地は応仁の乱で京中が兵火に見舞われ各公家たちは地方に避難し、安倍氏は荘園として持っていた当地に引っ越しました。
江戸時代には京都に戻り土御門家として陰陽寮を運営しています。
《葛の葉稲荷神社》
安倍晴明の母君は葛の葉という狐だったと言われています。本元の大阪にも同様の稲荷神社があります。
《絵馬》
お参りした後職員らしき男性が絵馬を掛けにきました。
《天社宮》🙏
《天壇》
泰山府君社跡となっていますが、この天壇は現在も祭場として使われています。
祭祀の様子はHPにあります。
《土御門家墓所》
害獣除けの柵の奥にあり、どなたでも入ることができます。
《土御門神道本庁》
👁チェックポイント‼️
明治になって政府は神仏分離とともに近代化を行いましたが、その被害を一点に受けたのが陰陽寮でした。天社禁止令を出されたことによって陰陽道は内定機関から出され、垂加神道を取り入れて土御門神道を発足するも教派神道として独立できず、現在も宗教法人としては「諸教」として扱われています。
神社によっては暦を出しているところもありますが、こちらで作られた暦を出しているところもあり、暦道の専門家としての技術を使っています。
《授与所》
お札や御守りを出しています。かつては受注作成だった時期もありますが、現在はどうなのでしょうか。
《玄関》
社務所を外から見た時何か違和感があったのですが、5年前に来たときは屋根が茅葺だったのですが、今は瓦葺きになってます。
ここ最近はHPも開設し、インスタグラムにも進出してきているので、今後も動向を注目していきたいですね。
《入口》
こちらに参拝される際には、近所の道の駅名田庄にある暦会館にも是非足を運んでください。安倍氏が扱っていた暦の資料が展示してあります。
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