御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年5月
天社宮・泰山府君社跡ではいただけません
広告

てんしゃぐう・たいざんふくんしゃあと

天社宮・泰山府君社跡
福井県 若狭本郷駅

御朱印について
御朱印
なし
パーキング
駐車場
あり

道向かいに駐車場あり

おすすめの投稿

神祇伯
2024年01月18日(木)
1340投稿

明治まで政府の内廷機関であり、天文学や暦道を専門とし、果ては呪術や占術を用いて日本の行く末を見ていた陰陽寮。明治の近代化によってその立場を追われ、現在はその福井県おおい町名田庄にてその技術を継承しています。現代においてサブカル文化にて認知度の上がり、陰陽師を自称する人も増えてますが、最も陰陽道を基本的な形で残していると言えるのではないでしょうか。

天社宮・泰山府君社跡(福井県)

《一の鳥居》
扁額には「土御門総社」と書かれています。ちなみにですが現在土御門家は断絶していませんが陰陽道からは離れています。
もう一度言います。"離れて"います。基本的に土御門を自称する陰陽師は本物ではない可能性が高いです。

天社宮・泰山府君社跡(福井県)

《ニの鳥居》
なんか色々な色の鳥居が見えます。

天社宮・泰山府君社跡(福井県)

《由緒書き》
この地は応仁の乱で京中が兵火に見舞われ各公家たちは地方に避難し、安倍氏は荘園として持っていた当地に引っ越しました。
江戸時代には京都に戻り土御門家として陰陽寮を運営しています。

天社宮・泰山府君社跡(福井県)

《葛の葉稲荷神社》
安倍晴明の母君は葛の葉という狐だったと言われています。本元の大阪にも同様の稲荷神社があります。

天社宮・泰山府君社跡(福井県)

《絵馬》
お参りした後職員らしき男性が絵馬を掛けにきました。

天社宮・泰山府君社跡(福井県)

《天社宮》🙏

天社宮・泰山府君社跡(福井県)

《天壇》
泰山府君社跡となっていますが、この天壇は現在も祭場として使われています。
祭祀の様子はHPにあります。

天社宮・泰山府君社跡(福井県)
天社宮・泰山府君社跡(福井県)

《土御門家墓所》
害獣除けの柵の奥にあり、どなたでも入ることができます。

天社宮・泰山府君社跡(福井県)

《土御門神道本庁》
👁チェックポイント‼️
明治になって政府は神仏分離とともに近代化を行いましたが、その被害を一点に受けたのが陰陽寮でした。天社禁止令を出されたことによって陰陽道は内定機関から出され、垂加神道を取り入れて土御門神道を発足するも教派神道として独立できず、現在も宗教法人としては「諸教」として扱われています。
神社によっては暦を出しているところもありますが、こちらで作られた暦を出しているところもあり、暦道の専門家としての技術を使っています。

天社宮・泰山府君社跡(福井県)

《授与所》
お札や御守りを出しています。かつては受注作成だった時期もありますが、現在はどうなのでしょうか。

天社宮・泰山府君社跡(福井県)

《玄関》
社務所を外から見た時何か違和感があったのですが、5年前に来たときは屋根が茅葺だったのですが、今は瓦葺きになってます。
ここ最近はHPも開設し、インスタグラムにも進出してきているので、今後も動向を注目していきたいですね。

天社宮・泰山府君社跡(福井県)

《入口》
こちらに参拝される際には、近所の道の駅名田庄にある暦会館にも是非足を運んでください。安倍氏が扱っていた暦の資料が展示してあります。

もっと読む
投稿をもっと見る(2件)

天社宮・泰山府君社跡の基本情報

住所福井県大飯郡おおい町名田庄納田終129-9
行き方
アクセスを詳しく見る
名称天社宮・泰山府君社跡
読み方てんしゃぐう・たいざんふくんしゃあと
通称土御門総社
参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約20分

参拝料

なし

トイレなし
ホームページhttps://onmyodo.jp
SNS

詳細情報

ご祭神泰山府君尊神
ご神体不詳
創建時代室町時代後期
ご由緒

今から約1300年前、奈良時代の遣唐使、阿倍仲麻呂公は、中国で泰山府君大神の教伝と陰陽道家の法を学んでいました。彼は親友である吉備真備公にこれらの知識と泰山府君大神の御神璽を託し、天平七年(735年)、日本に帰国する吉備真備公によって、日本に泰山府君大神の信仰が伝えられました。
吉備真備公が帰国した翌年の天平八年(736年)12月13日、聖武天皇は若狭国名田庄を泰山府君祭料知行地と定めました。この名田庄は、古くから泰山府君大神と深い縁のある地とされています。
当初は吉備家によって守護奉斎されていた泰山府君大神ですが、阿倍仲麻呂公の意思に従い、やがて安倍(土御門)家に移されました。以後、代々の安倍(土御門)家では「大元尊神・泰山府君大神」として奉斎されるようになりました。
平安時代、安倍晴明公は特にこの泰山府君大神を陰陽道の主祭神として篤く信仰しており、京都堀川一条葭屋町(現在の安倍晴明神社境内)にある安倍晴明公の邸内に、荘厳な社殿を建立しました。
しかし、応仁正中の乱で社殿が焼失し、戦火を逃れた御神璽は、若狭の神領地から京都に帰洛した土御門久脩卿によって、山城国旧葛野京、梅小路唐橋(現京都市下京区千本七条下ル唐橋町)に新たな社殿が建設され、そこに奉斎されることになりました。 その後、御陽成天皇から孝明天皇に至る十四代、将軍徳川家康から家茂公に至る十四代の大祭が行われました。
この泰山府君大神を奉斎する社殿はこの京都の土御門家邸にのみ存在し、「日本一社」と称され、江戸時代の天和二年(1682年)には、霊元天皇から「天社宮」の称号を賜りました。
第二次世界大戦終戦の翌年、昭和二十一年(1946年)には、文部大臣の認証を受け、土御門範忠元子爵と土御門神道本庁庁長藤田義男(安倍家の親縁でもある藤田家三十七代目)によって、安倍(土御門)家で代々奉斎されてきた「元津之社御本璽」が京都市山科に仮安置された後、古くから泰山府君大神と所縁のある、ここ名田庄に遷宮されました。
天社土御門神道本庁にお祀りしている神様は、陰陽道宗家として、約1300年前の阿倍仲麻呂公から安倍晴明公を含む、代々、土御門(安倍)家邸内で大切に奉斎されてきた日本一社の泰山府君大神となります。[当HPご由緒より抜粋]

体験祈祷お祓い絵馬博物館お守り祭り有名人のお墓伝説

Wikipediaからの引用

概要
天社土御門神道(てんしゃつちみかどしんとう)、または土御門神道(つちみかどしんとう)、は、福井県大飯郡おおい町(旧名田庄村地区)に本庁を置く宗教団体。呼称については「土御門神道」で良いが、江戸時代に土御門家が「陰陽道宗家」として霊元天皇より賜った「天社宮」(てんしゃぐう)の宮号にある「天社」を冠して「天社土御門神道」とも呼ぶ。 安倍晴明を祖とする陰陽道宗家・安倍氏土御門家が伝えてきた陰陽道を基幹としているが、中世には吉田神道の影響を受けている上に、江戸時代に神道家で儒家の山崎闇斎の提唱した垂加神道の思想を取り込んで「神道化」を果たした「天社神道(安家神道ら土御門神道)」であるため、厳密に言えば陰陽道そのものではない。現在は神道系団体であるまた、現在の代表は土御門家の当主ではなく、土御門家の家政を司っていた家臣の家柄である藤田家が担っている。 最後の土御門家当主となった土御門範忠(1920~1994)逝去後は、最高位である「管長」は置いていない。マスコミ等の取材に対応する時も肩書はあくまでも「庁長」(天社土御門神道本庁長)あるいは「代表」としている。現在の最高責任者(法人代表)の肩書きは「庁長(代表)」となる。
引用元情報天社土御門神道」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A9%E7%A4%BE%E5%9C%9F%E5%BE%A1%E9%96%80%E7%A5%9E%E9%81%93&oldid=98907392

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ