おかふとじんじゃ
岡太神社福井県 武生駅
参拝自由(社務所は神職在宅時のみ対応)
雄略天皇 23 年、西暦 479 年に男大迹皇子(後の継体天皇)が、治水事業の安全を祈願し創建。毎年 2 月 11 日に行われる「蓬莱祀」は、国選択無形民俗文化財。
【越前國 式内社巡り】
岡太神社(おかふと~)は、福井県越前市粟田部町にある神社。式内論社で、旧社格は県社。主祭神は、建角身命、国狭槌命、大己貴命、相殿神は継体天皇他十二柱。
社伝によると、男大迹王(をほどのおおきみ:継体天皇)が御潜龍の折、当地の水害を憂い、水路を穿ち九頭龍川、足羽川、日野川を拓いた時、建角身命、國狹槌尊、大己貴命の3柱を奉祀し「岡太神社」と号して祈誓されたのが始まり。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「越前國 今立郡 岡本神社 小」の論社となっている。江戸時代後期に記された『越前國名蹟考』では「白山神社」と記されている。明治時代に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR北陸本線・武生駅の東北東7kmの、琴弾山の南麓にある。境内は南側の平地に拝殿があり、北側の山の中腹に本殿があって、その間に境内社や神輿庫などの建物が散在している。まるで1つの神社の中に里宮と奥宮があるかのような独特な造り。拝殿は大きく立派で、本殿も瑞垣で囲われ中門を擁する豪華なもの。古くからの信仰の篤さが伺える。
今回は越前國の式内論社、福井県の旧県社であることから参拝すること。参拝時は休日の夕方で、悪天候の上、時間が遅かったこともあり、参拝者は自分以外には見掛けなかった。
境内南方の参道脇に立つ<社号標>。
境内南端入口の<鳥居>。
鳥居をくぐってすぐ、参道右側にある<手水舎>。
参道を進んで<拝殿>全景。
拝殿前左側に立つ<狛犬>。イカツイ見た目。
拝殿前右側に立つ<狛犬>。
<拝殿>正面。
拝殿正面の上部に掛かる<扁額>。
拝殿から振り返って境内全景。
拝殿から振り返って、鳥居の右手にある<社務所>。
拝殿の右側にある<神馬>。
境内図によると、拝殿の真後ろには本殿はなく、高台の上にあるため、拝殿の裏手を登って行く。
一段高いところにある<神明宮>(左)と<稲荷祠>(右)。
拝殿の裏手、一段高いところにある立派な建物。本殿かとも思ったが、実際は<神輿殿>。
<神輿殿>の内部。
神輿殿よりもさらに一段高い場所の入口に立つ<鳥居>。
鳥居をくぐって進むと、さらにもう一つ<鳥居>がある。
参道突き当りの<中門>。神域は石製の瑞垣で囲われている。
中門の背後、神域の奥中央に建つ<本殿>。左側は<貴船神社>、右側は<須波阿須疑神社>。
神域全景。拝殿と本殿で高低差が数十mある、独特な様式が面白い。
拝殿の右手から、本殿を眺める。参拝時(10月10日)は、ちょうど紅葉の色づき始めだった。今ごろはちょうど見ごろなのかな~♪ (^▽^)/
越中国今立郡の式内社「岡本神社」の論社です。第26代継体天皇さまがまだ皇位に就いていない(男大迹皇子)ころにこの地で川が氾濫し、それを憂いた皇子が蓬莱山の麓に三柱の神様の祀って祈願したのが創祀とされています。
大瀧町の論社は岡太(おかもと)なのに対し、当社は字のまま岡太(おかふと)と読むみたいですね。
《鳥居》
ここ注目して欲しいのが、この鳥居の横に見える注意書きの看板が「敦賀縣」となっています。敦賀県は明治九年まであった県で、福井県に合併されました。
《蓬莱祀について》
👁チェックポイント‼️
これで蓬莱祀(おらいし)と読むそうです。継体天皇さまが即位したことを祝って始められたそうで、かなり歴史のある祭りのようです。神社のHPとは別にこの祭に関してはサイトでまとめられるほど有名なようです。
《手水舎》
水は流れていました。
《拝殿》🙏
大体この裏に本殿があるものなのですが、当社は珍しくこの裏手には本殿ではなく神輿殿があり、本殿はこのまた階段上がった上にあります。
《由緒書き》
この序盤に出てくる「御潜龍」という言葉ですが、「水中に潜み隠れ、未だ天に昇らない龍」を意味することから「しばらく帝位につくことを避けている」ことなんだそうです。
まさしく武烈天皇さまからあとに長らく朝廷を離れていた身から皇位についた継体天皇さまを指す言葉ですね。
《境内図》
こんな感じで結構広いし、拝殿本殿がここまで離れているのは珍しいです。
《本殿前の鳥居》
《本殿》🙏
本殿横には貴船神社と須波阿須疑神社があります。須波阿須疑神社は式内社として載っている神社で、県内に分裂して同名社があります。
《裏参道の鳥居》
《社務所》
普段は無人?なんでしょうか?御朱印はあるようです。
岡太神社は、越前市粟田部町19字大山3番地にあり、延喜式神明帳では旧今立郡十四座中では最も古い社である。
当神社は 建角身神 大己貴命 国狭槌尊 の三柱を勧進し、当初「玉穂の宮」と称し21代雄略天皇(456~479)以前に鎮座されたといわれている。
明治五年(1874年)に維新政府の神仏分離令により社名を県社岡太神社と改め現在に至るも、その間明治6年(1873)
の大火により消失、苦難の末明治35年(1902)再建なる。
名称 | 岡太神社 |
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読み方 | おかふとじんじゃ |
参拝時間 | 参拝自由(社務所は神職在宅時のみ対応) |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり ※神職在宅時のみ対応 |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳に直書き | なし |
電話番号 | 0778-43-1626 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://okahuto-jj.jimdo.com/ |
【公式】越前国府の御朱印・御首題巡り |
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ご祭神 | 《主祭神》 建角身命 国狭槌尊 大己貴命 《配祀神》 継軆天皇 |
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創始者 | 男大迹皇子 |
本殿 | 一間社流造 |
文化財 | 蓬莱祀(国選択無形文化財) |
ご由緒 | 岡太神社は、越前市粟田部町19字大山3番地にあり、延喜式神明帳では旧今立郡十四座中では最も古い社である。
明治五年(1874年)に維新政府の神仏分離令により社名を県社岡太神社と改め現在に至るも、その間明治6年(1873)
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体験 | 絵馬御朱印祭り伝説 |
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