御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

さかえのやしろ

佐佳枝廼社の御由緒・歴史
公式福井県 市役所前駅

歴史詳細情報

佐佳枝廼社は、福井藩の東照宮を前身とする神社です。福井城の三の丸に始まり、明治の世に松平春嶽公から社名を賜り、戦災と震災による二度の焼失を経て、いまの地に社殿を構えております。

前身 ―― 福井藩の東照宮

寛永5年(1628年)、三代福井藩主 松平忠昌公が、福井城三の丸の神明宮の西に東照宮を勧請したことに始まります。
その別当を務めたのが、天台宗の泉蔵院(正式名 万福山泉蔵院瑠璃光寺)です。泉蔵院ははじめ浅草寺智楽院の末寺、のちに輪王寺宮の直末寺となりました。

社名「佐佳枝廼社」の由来

明治維新の神仏分離により、東照宮は寺院別当の手を離れ、神社として改めて立てられることとなりました。

明治6年(1873年)7月20日、十六代藩主 松平慶永(春嶽)公の御直書により、社名を「佐佳枝廼社」と定められました。
この名は、古事記や祝詞に見える「榮井(さくゐ)」の字に由来し、「この榮井の里をはじめ、もとより知る民草の身の上を守らん」との意が込められています。「福井が栄えるように」という願いが、社名そのものになっているのです。

明治の歩み

鎮座祭

明治7年(1874年)
11月から12月にかけて鎮座祭を執り行いました。12月1日、東照宮を神明社より遷座して合祀いたしました。

県社に列格

明治14年(1881年)
3月29日
県社に列せられました。報せが東京の慶永公・茂昭公に届いた4月8日は、陰暦でいう藩祖 秀康公の御忌日にあたっており、慶永公はこれを「実に不可思議なる事」と書き送っています。

春嶽公の合祀

明治25年(1892年)
7月23日
松平春嶽(慶永)公を合祀いたしました。これにより、徳川家康公・結城秀康公・松平春嶽公の三柱をお祀りする、現在の姿となりました。

藩祖三百年祭

明治40年(1907年)
藩祖 結城秀康公の三百年祭を執り行いました。

二度の災禍と、境内から生まれた商店街

昭和20年(1945年)7月の福井空襲、昭和23年(1948年)6月の福井地震により、御社殿と付帯施設の一切を焼失いたしました。昭和23年以前の記録や宝物も、このとき失われています。

しかし復興の気運はすぐに高まり、昭和30年には鉄筋コンクリート造・入母屋造の御本殿を造営いたしました。設計・監修は伊藤平左衛門、権現造りで、本殿と祝詞殿の内部は木曾檜造り、屋根は銅板葺きです。

また戦後、当社は福井市の要請を受け、大陸から引き揚げて来られた方々や、戦災で焼け出された方々のために境内の一部を提供いたしました。当初は門前町として、浅草の仲見世通りにも比する商店街をと願ってのことでした。

全国初の、神社を含む再開発

戦後40年を経て建物の老朽化が進み、また福井市の中心部としてふさわしい景観を望む声が高まりました。さまざまな案が検討された末、神社を含む再開発という全国でも例のない大事業が平成元年(1989年)3月に着工。3年余りの工事を経て、平成4年(1992年)4月17日に竣功いたしました。
境内の下に駐車場を備え、社殿と市街地が一体となった、いまの佐佳枝廼社の姿は、このとき生まれたものです。

御鎮座壱百年

昭和49年(1974年)、御鎮座壱百年の奉祝大祭を執り行いました。

ご祭神当神社では、福井藩祖である松平秀康公、
江戸幕府初代将軍である徳川家康公、
福井藩16代藩主である松平慶永公(春嶽公)を
主祭神としてお祀りしております。

◆相殿御祭神◆
土屋左馬助正明命(殉死、藩祖の家臣で武将)
永見右衛門長次命(殉死、藩祖の家臣で武将)
吉田修理義寛命 (福井城築造総督の武将)
創建時代寛永5年(1628年)
ご由緒

当神社の由緒は、寛永5年(1628)、
福井城内の天台宗万福山泉蔵院瑠璃光寺北に社殿を建立し、
東照宮権現様(徳川家康公)をお祀りしたことに始まります。

明治6年、福井藩祖松平秀康公の御偉業を称えてお祀りするにあたり、春嶽公により社名を佐佳枝廼社と命名されました。
明治14年、県社に列せられ、明治24年11月11日、そのご遺徳を景仰して松平慶永公を合祀奉りました。以後、昭和15年の春嶽公50年祭には、勅使を遣わされるなど、皇室の御崇敬も厚く、福井の氏神様として社頭は賑わいを見せておりましたが、
昭和20年の大東亜戦争による空襲、また昭和23年の福井地震と二度に渡る戦災・震災で、御社殿付帯施設一切が焼失しました。
しかし、すぐにも復興の気運が高まり、翌24年、岡田啓介氏、三井鋹子氏、松平康昌氏らの御助力により、京都市下鴨にある三井家祖霊社を譲り受け、拝殿として移築復元し、また昭和30年には、先の災害を鑑みて、北陸初の鉄筋コンクリート造り、入母屋造りの御本殿が造営されました。

戦後、当神社は福井市の要請のもと、大陸から引き揚げて来られた方々や戦災で焼け出された方々のために境内の一部を提供し、当初は門前町として浅草の仲見世通りにも匹敵する商店街をと希望しておりました。
ですが、戦後40年を経過し建物の老朽化が進んでいたこともあり、福井市中心部としてふさわしい景観を望む声が高まり、様々な案が検討された結果、神社を含む再開発という全国でも初の大事業が平成元年3月に着工致しました。3年余に渡る大工事の末、平成4年4月17日に竣功致しました。

歴史の写真一覧

御朱印背景
NEWSLETTER

最新の限定御朱印情報が届く!

御朱印メルマガを受け取ろう

※購読はいつでも解除できます。利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに同意したものとみなします。
This site is protected by reCAPTCHA and the GooglePrivacy Policy andTerms of Service apply.
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!
行きたい
行った

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ