しんめいじんじゃ
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神明神社ではいただけません
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神明神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年06月03日(月)
#神明神社
ご祭神はアマテラス皇大神。
#天照皇大神
日本書紀によれば、第10代・崇神天皇の頃まで、アマテラス大神は宮中で祀られていた。しかし彼女の神威を恐れ、外で祀ることにした。はじめ、崇神天皇の皇女のうち、トヨスキイリビメの命がアマテラス大神に仕えた。後にその役目は次の垂仁天皇の皇女・ヤマトヒメの命へ引き継がれ、彼女が皇大神宮(三重県伊勢市)を創建した。
豊受大神宮(同市)の勾玉池のそばに、せんぐう館という展示施設がある。そこで伊勢神宮の歴史に関するVTRを上映していたのだが、大和を出てから伊勢へ至るまでのヤマトヒメの命の足跡も映像で出た。おおむね、大和、伊賀、近江、美濃、伊勢という順番で移動したようだ。
ところで、豊受大神宮は皇大神宮よりもかなり遅れて、第21代・雄略天皇により創建された。何でも、アマテラス大神自身が彼の夢に現れ、「丹波の国からトヨウケの大神を呼んできて、私のそばに祀ってちょうだい!」と求めたらしい。
この丹波は後の丹後(京都府北部。舞鶴市など)のこと。籠神社(宮津市)は、あちらの奥宮である真名井神社こそがトヨウケの大神のふるさとだという。
またあちらによれば、ヤマトヒメの命もまたアマテラス大神を連れて真名井神社に来ていた。それが本当ならば、皇大神宮ができるよりも前に、アマテラス大神とトヨウケの大神が同居していた期間があったことになる。
ご祭神はアマテラス皇大神。
#天照皇大神
日本書紀によれば、第10代・崇神天皇の頃まで、アマテラス大神は宮中で祀られていた。しかし彼女の神威を恐れ、外で祀ることにした。はじめ、崇神天皇の皇女のうち、トヨスキイリビメの命がアマテラス大神に仕えた。後にその役目は次の垂仁天皇の皇女・ヤマトヒメの命へ引き継がれ、彼女が皇大神宮(三重県伊勢市)を創建した。
豊受大神宮(同市)の勾玉池のそばに、せんぐう館という展示施設がある。そこで伊勢神宮の歴史に関するVTRを上映していたのだが、大和を出てから伊勢へ至るまでのヤマトヒメの命の足跡も映像で出た。おおむね、大和、伊賀、近江、美濃、伊勢という順番で移動したようだ。
ところで、豊受大神宮は皇大神宮よりもかなり遅れて、第21代・雄略天皇により創建された。何でも、アマテラス大神自身が彼の夢に現れ、「丹波の国からトヨウケの大神を呼んできて、私のそばに祀ってちょうだい!」と求めたらしい。
この丹波は後の丹後(京都府北部。舞鶴市など)のこと。籠神社(宮津市)は、あちらの奥宮である真名井神社こそがトヨウケの大神のふるさとだという。
またあちらによれば、ヤマトヒメの命もまたアマテラス大神を連れて真名井神社に来ていた。それが本当ならば、皇大神宮ができるよりも前に、アマテラス大神とトヨウケの大神が同居していた期間があったことになる。
すてき
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