あけちじんじゃ
明智神社のお参りの記録一覧
猛暑が戻った本日、明智光秀を祀る福井市東大味町の明智神社へ☀
先日の新聞記事に、神社奉賛会の皆さんが冬季を除いて月に数回(主に土・日)、案内所を開くとありました。
土産物販売や参拝者の案内などを行うそうです。
また新しい御朱印もできたとのことで、早速いただいてきました😄
集落内は狭いので、手前の臨時駐車場へ🅿
駐車場から神社まで徒歩3分👣
光秀の娘・玉(細川ガラシャ)生誕地とも伝わります。
明智神社🙏
資料館
光秀木像(通称あけっつぁま)
資料館内の写真より📷
新しい御朱印も「あけっつぁま」
地元で「あけっつぁま」として親しまれる明智神社。ここでお玉(細川ガラシャ)が誕生した場所なのですね(^^)
最近、きれいに整備されたとのです。境内は小さいです。
明智光秀公の命日には祀られているあけっつぁま木像を直接拝めるとの事です。
御朱印は最近始まったもので、近くの山本食料品店さんでいただけます。
案内看板です。
臨時駐車場です。神社は駐車場から徒歩5分位のところにあります。
全体外観です。「お玉生誕の地」の石碑あり。
隣接する資料館です。
御朱印です
令和2年5月、福井市東大味の明智神社。
明智光秀が柴田勝家に依頼してこの地域の安堵状を出させたため、戦火に巻き込まれなかったとされています。
鎮座する東大味町は朝倉家の本拠一乗谷から西に3kmほど。
美濃から越前に逃れて称念寺門前に暮らした光秀一家が、いつ頃に一乗谷周辺に移ったのか?
明智神社奉賛会のチラシには1562年から1567年頃まで東大味に居住したとあります。
1567年は朝倉義景を頼った足利義昭が一乗谷入りした年で、その後は信長を頼り越前を離れます。光秀もこの時に義昭と行動を共にしたのでしょう。
ちなみに娘の玉(細川ガラシャ)の生誕年は1563年とされており、明智神社では玉は東大味で生まれたとしています。称念寺説もあるので、よくわかりません😅
御朱印を近くのお店でいただきました。
看板には「ガラシャ生誕の里」
ハート苔♥
神社というより祠です🙏
おまけ。
大麦が麦秋をむかえてました。
水色桔梗紋
今、マイブームの麒麟がくる!
明智光秀公が気になってしょうがない。
光秀公は美濃国を追われ越前で10年程暮らしたとされて、明智神社は朝倉氏に身を寄せていた時の屋敷跡。
13センチ程の木彫の光秀座像が祀られている。
東大味町の3軒の農家が400年以上守り続けて来たそうです。今は町に移管されています。
祠は1886年に建設されました。
例祭は毎年光秀公の命日6月13日です。
小さな神社です
周りは長閑な山里☘️
書置印刷の御朱印
水色桔梗紋が素敵です
あけっつぁまと呼ばれ親しまれていたそうです。
御朱印は山本食品店で頂けます。
昔ながらのお店です。
この案内板まで来たら行き過ぎです。
臨時駐車場を通り過ぎてしまい、朝倉街道の入口まで来てしまいました😅
臨時駐車場に止めて青い光秀公の旗を目印に歩くと神社に着きます。
桜はまだ蕾でした。
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