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ひかわ

簸川神社の御由緒・歴史
福井県 福井口駅

ご祭神《合》火結神,菅原道真,《主》素盞嗚尊
ご由緒

由 緒
 社伝によれば、後醍醐天皇元弘2年(1332)尾張国(愛知県)津島神社の神を勧請して足羽群篠尾村に鎮座したのが創祀である。
永禄2年(1559)、明治以降は陸軍省所轄地となる旧福井城三ノ丸に社殿を遷した。
天正11年(1583)、羽柴筑前守秀吉より禁制状があった。
この書状は、明治5年7月松ヶ枝上町出火の折、氏子安村与五六宅において焼失した。
享保16年(1731)清川上町(旧志比口町)に遷り、明治7年簸川上町に遷った。
すなわち現在の地である。
同8年12月10日郷社に列し、同41年8月、神饌幣帛料を供進すべき神社に指定された。
 境内神社として祀られていた稲荷神社(祭神 倉稲魂命)、阿岐波神社(同 火結神)、菅原神社(同 菅原道真公)のうち、稲荷神社と菅原神社は社殿大破のため明治7年8月、本社に合祀されたと神社明細帳に記されているが稲荷神社は今も境内社として祀られている。
阿岐波神社は戦後、本社に合祀された。
 明治初期の本社社殿は前口2間2尺奥行5間3尺の本殿、前口5間奥行3間の拝殿、前口4間奥行6間の社務所があり、氏子762戸があった。
 当簸川神社鎮座に関わる愛知県津島市向島にある津島神社は、全国津島神社3,000社余の総本社であり一名天王社ともいうが、一方同じく素盞嗚尊を祀る京都市祇園の八坂神社があり、全国八坂神社2,651社の総本社で一名祇園社ともいう系列があり、当社への崇敬もこの2系列が入り交っている。
当社は福井藩主松平家より福井城の鬼門除の神社として崇敬され、例大祭には必ず藩主が参詣される中で、京都祇園祭りにならい盛大に祭が斎行され獅子巡行太鼓囃子の行列など市中を賑わせたという。
(神社庁HP)

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