かんじざいじ
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観自在寺ではいただけません
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観自在寺のお参りの記録(2回目)
投稿日:2024年05月24日(金)
参拝:2024年5月吉日
1泊2日四国八十八か所巡り 2日目の6寺院目です。愛媛県のみなさーんこんにちは。
時刻はもう16時 今回の巡礼はこちらでおしまいです。
接待所のお姉さんが 「帰りに寄ってくださいね」 と声をかけてくださいました。こんな時間なのに。
立派な仁王門をくぐり境内へ。境内は手前半分と奥半分の境目に階段がありました。
本堂手前に十二支守本尊がいらっしゃいます。
参拝者はおのおの自分の干支の本尊にお参りしていました。
お水をかけてのお参りです。私の干支は なぜかからからだったので たっぷりお掛けしておきました。
栄かえるではしっかり手を合わせました。
本堂は新しい建物ですが 内陣は立派でした。こちらで御朱印を拝受しました。
続いて大師堂。こちらも比較的新しい建物でした。
大師堂の足元には 四国八十八か所巡りの寺院名が彫られていました。
この石を踏んで回れば ミニ四国八十八か所巡りになるということですね。
ぐるっと一周したら 正面に高野山奥之院の石となりました。
最後に仁王門を裏から見たのですが きれいな青空と影のコントラストが美しかったです。
山号は平城山 院号は薬師院 宗旨宗派は真言宗大覚寺派 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)大同2年(807年) 開基は(伝)空海(弘法大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:心願(しんがん)や自在の春に花咲きて 浮世のがれて住むやけだもの
でした。
由緒については
平安時代初期の大同2年(807年) 平城天皇の勅願によって 空海(弘法大師)は 一本の霊木から本尊の薬師如来 脇持の阿弥陀如来 十一面観世音菩薩を刻み安置して開創したと伝えられている。
このとき残った霊木に庶民の病根を除く祈願をし「南無阿弥陀仏」と彫ったと云われる。
なお その版木により晒し木綿に押印された宝印守を購入することができる。
また 平城天皇は勅額「平城山」を下賜し 当地に行幸したと云われ 一切経と大般若経を奉納を奉納し 毎年勅使を遣わして護摩供の秘法を修したとされている。
江戸時代初期の寛永15年(1638年)に 京都の空性法親王が巡拝 薬師院の号を受けた。
その後 宇和島藩主伊達宗利の勅願所になったという歴史をもつ。
一時は七堂伽藍を持ち四十の末寺を有したが 火災で消失。
延宝6年(1678年)に再建されたが 昭和34年(1959年)に失火で本堂を焼失し昭和39年に再建 大師堂は平成5年(1993年)に再建された。
とありました。
時刻はもう16時 今回の巡礼はこちらでおしまいです。
接待所のお姉さんが 「帰りに寄ってくださいね」 と声をかけてくださいました。こんな時間なのに。
立派な仁王門をくぐり境内へ。境内は手前半分と奥半分の境目に階段がありました。
本堂手前に十二支守本尊がいらっしゃいます。
参拝者はおのおの自分の干支の本尊にお参りしていました。
お水をかけてのお参りです。私の干支は なぜかからからだったので たっぷりお掛けしておきました。
栄かえるではしっかり手を合わせました。
本堂は新しい建物ですが 内陣は立派でした。こちらで御朱印を拝受しました。
続いて大師堂。こちらも比較的新しい建物でした。
大師堂の足元には 四国八十八か所巡りの寺院名が彫られていました。
この石を踏んで回れば ミニ四国八十八か所巡りになるということですね。
ぐるっと一周したら 正面に高野山奥之院の石となりました。
最後に仁王門を裏から見たのですが きれいな青空と影のコントラストが美しかったです。
山号は平城山 院号は薬師院 宗旨宗派は真言宗大覚寺派 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)大同2年(807年) 開基は(伝)空海(弘法大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:心願(しんがん)や自在の春に花咲きて 浮世のがれて住むやけだもの
でした。
由緒については
平安時代初期の大同2年(807年) 平城天皇の勅願によって 空海(弘法大師)は 一本の霊木から本尊の薬師如来 脇持の阿弥陀如来 十一面観世音菩薩を刻み安置して開創したと伝えられている。
このとき残った霊木に庶民の病根を除く祈願をし「南無阿弥陀仏」と彫ったと云われる。
なお その版木により晒し木綿に押印された宝印守を購入することができる。
また 平城天皇は勅額「平城山」を下賜し 当地に行幸したと云われ 一切経と大般若経を奉納を奉納し 毎年勅使を遣わして護摩供の秘法を修したとされている。
江戸時代初期の寛永15年(1638年)に 京都の空性法親王が巡拝 薬師院の号を受けた。
その後 宇和島藩主伊達宗利の勅願所になったという歴史をもつ。
一時は七堂伽藍を持ち四十の末寺を有したが 火災で消失。
延宝6年(1678年)に再建されたが 昭和34年(1959年)に失火で本堂を焼失し昭和39年に再建 大師堂は平成5年(1993年)に再建された。
とありました。
駐車場からすぐです
石柱
仁王門
扁額
仁王門の天井部分に 干支のかかれた これ何やろ
手水は龍ではありませんでした
お忘れぽっくり地蔵 名前がいいですね
鐘楼
寶聚殿八角堂 宝物展示室らしいです
大師立像
十二支守本尊
栄かえる
無人の手ぬぐい売店
本堂
扁額
大師堂
扁額 と 独鈷
独鈷杵
ミニ四国八十八か所巡りになるのでしょう
賓頭盧尊者
独鈷
結願ということで 高野山奥之院
石造心経宝塔
仁王門を境内から見て
すてき
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くるくるきよせん2024投稿
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