われいじんじゃ
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楽しみ方和霊神社のお参りの記録一覧

今年は和霊大祭にぜひ行きたいと思ってたのに日程を確認していなくて、たまたま数日前にネットニュースで流れてきてもう始まるじゃないか!と焦りました
3日間の開催のうち最終日がたまたま仕事が休みだったので急遽行くことに
本当は例祭と宵闇祭がある中日に行きたかったんだけれども…日頃の無計画っぷりが如実にあらわれています汗
それでも勇壮な牛鬼やかわいらしい子供行列、お神輿の渡御を見ることができてよかったです
御朱印も前回訪れたときは書き置きでしたが今回は直書きでいただけて嬉しかったです


こちらの鳥居は前回の参拝時は公園の改修工事中で写真が撮れなかったので今回撮れてよかったです



子供行列

今年の絵馬

社殿
前回の参拝時は撮り忘れていたのでリトライ成功✨


本殿

授与品の種類も豊富です

市内を練り歩いてきた各地区、各団体の牛鬼が続々と神社の門前まで挨拶に来ます

これベストショットじゃないですか?

こちらは和霊神社の牛鬼
赤色の牛鬼と対になっています

神輿渡御





宇和島市の中心地に立つ神社です。御祭神は山家公頼という方で、伊達政宗公の家臣として仕えていました。政宗公の長男である秀宗公が宇和島藩に転封された際についていき家老として藩政を支えていましたが、公頼公に嫉妬する藩士の讒言によって暗殺されてしまいます。その後公頼公の政敵が相次いで亡くなったり災害が起こったため、吉田家を奉幣使として招いて公頼公の霊を鎮めるために建てられました。
今回は7/22〜24に行われている和霊大祭の一部である「うわじま牛鬼まつり」を観に行って来ましたのでご紹介します。

《ニの鳥居》
縁日の屋台が並んでいます。

《太鼓橋》

《神門》


《牛鬼の山車》
神門をくぐると両脇に控えています。この牛鬼の山車は宇和島を含めた南予地方に広く伝わるもので、起源は朝鮮出兵にて使われた亀甲車と呼ばれるものに地方に伝わる牛鬼伝説が混ざったとされています。

《手水舎》
水は流れています。洗ひつるここも…(略)

《表参道》

《拝殿》
現在は神社本庁下の別表神社に指定されています。また江戸時代の御霊信仰にて成立した神社ですが、歴史に対して中四国に多くの分社が存在するのが特徴です。

《拝殿内部》🙏
この日は23日の宵宮祭で氏子総代さんたちが参列しています。軽快な放鼓が特徴的です。

《一の鳥居》
日は変わりまして24日。和霊大祭としては3日ある中和霊神社の祭事は最終日の24日に行われます。


《拝殿内部》🙏
19時の祭礼の後に出発する神輿が安置されています。



《子ども牛鬼パレード》
宇和島駅近くの商店街である「宇和島きさいやロード」の中心で出発式が行われ、運営委員会や来賓の人たちの高台の前で8組の幼稚園の園児たちが牛鬼と共に踊りを披露していました。


アーケードを通ったあとは宇和島駅前の駐車場まで練り歩きます。みんな暑い中お疲れさま…

《倉吉のお囃子隊》
鳥取県の倉吉市で活動している太鼓お囃子の皆さんが来て演奏を披露してくれました。このあとの親牛鬼の行列にも参加します。


《待機中の牛鬼たち》
子ども牛鬼たちが順番に行列に並んでいく中、ひっそりと準備を整えて並んできます。めっちゃ!どんどん!並んできます。1〜3体くらいやと思ってたぞ…

《出発式》
特別席にいた運営委員の方々による「エイエイオー」の鬨の声に各保存会の皆さんが声を上げます。






《各牛鬼の山車》
元々が亀甲車という朝鮮の虎を脅すための山車だったからか、ぱっと見ものすごく高く感じます。その上で首が上下に動き左右に振るその姿は巨大な馬かキリンのようです。
全部で17体の牛鬼たちが参加していました。

《三間町の牛鬼》
この子だけ首は動きますが長くはなく、顔が明らかに他の子達と違っています。本来の牛鬼が牛の角に鬼の顔、蜘蛛の体らしいので一番妖怪の牛鬼に近いのかも。
ちなみにこの牛鬼たちは基本的には各地方にて保管、祭りとして斎行しており、この牛鬼まつりのために遠方から来てくれています。
「うわじま牛鬼まつり」自体は1967年の戦後から始まっていますが、各牛鬼たちの中にはそれよりもっと古くから歴史を数えているものがあるようです。

《三体の練り》
三間町、大浦青年団、宇和島青年会議所の牛鬼たちは出発前に3体でぶつかってぐるぐる回ります。

《ANAの牛鬼》
面白いのが企業名義の牛鬼が半分を占めていることです。その地域の会社が積極的に祭りに参加していることはとても素敵ですよね。
ちなみにANAは参加者を全国の支社から集めた祭り好きの担ぎ手たちだそうです。

《和霊神社前》
アーケードを抜け宇和島駅の前で休憩を挟んで和霊神社前に向かいます。

《牛鬼の顔》
口は獅子舞のように大きく開くようになっており、首を傾けるたびにパカパカします。頭の角には榊と大きな木札が取り付けられています。



太鼓橋を渡って神門前で"練り"を行う牛鬼と渡らない牛鬼がいます。

《神門後ろ》
牛鬼パレード終わったなぁとまったりしてると、そういえば神門の牛鬼たちがいないことに気づきました。一体どこへ…?

《津島町牛鬼》
牛鬼パレードが終わって1時間くらいすると大通りに現れました。おそらく13時からの子供行列について行っていたようです。

《倉吉牛鬼》
鳥取県の倉吉市にもこの牛鬼があり、こちらの白い子は鳥取からわざわざ来てくれているようです。





《子ども神輿還御》
子供達もお疲れさまでした。本当はこのあと和霊神社の神輿が出て、丸之内和霊神社まで渡御したり海上渡御したり太鼓橋前で走り込んだりするんですが、今回はここまで。また次回は丸一日祭事を観たいですね。
ちなみにIshiduchiさんが神輿渡御の様子を投稿してくださってるのでそちらで是非。

【和霊神社(われいじんじゃ)】
和霊神社は、愛媛県宇和島市和霊町に鎮座します。和霊騒動で亡くなった山家公頼の怨霊騒動が宇和島藩内で続き、1653(承応2)年、伊達秀宗の命により和霊神社が創建されました。別表神社。
-祭神ー
①山家清兵衛公頼公(やんべせいべえきんよりこう)…宇和島藩祖伊達秀宗の家老。

【一の鳥居】

【二の鳥居】
大鳥居。石造りでは日本一の大きさといわれる。

【二の鳥居 扁額】

【狛犬 阿形】

【狛犬 吽形】

【石灯籠・神幸橋】

【神門】



【日本一の於多福面】

【日本一の鼻高面】

【手水舎】


【石段~注連柱】

【狛犬 阿形・社殿】

【拝殿】

【狛犬 阿形】

【狛犬 吽形】

【拝殿】

【内殿】


【大絵馬】
墨絵アーティスト茂本ヒデキチ氏による。

【牛鬼】


【大絵馬(令和6年)】

【本殿】

【本殿 裏】


【大絵馬(令和5年)】


【神馬】

【社務所】


【参籠所】

【境内から見る神門】

【大銀杏】

【神馬社】

【御井神社】

【山本神社】

【竈神社】

【三島神社】

【神門から見る大鳥居】

【神幸橋・神門】

【和霊廟】
和霊神社から南へ2㎞余り、金剛山大隆寺の西方にある公頼公の墓。
説明板によると、宇和島藩祖伊達秀宗が、宇和郡10万石に封ぜられ、宇和島に入ったのが1615(元和元)年のことでした。秀宗の父 伊達政宗は、家臣の中より力量手腕の秀でた山家清兵衛公頼を総奉行として藩政を委託しました。公頼は藩の財政の立て直し、民力の涵養に努めること5年間、大いにその治績を挙げました。
しかし、1619(元和5)年、幕府の命による大阪城石垣修築工事問題等を契機として、公頼排斥の空気がたかまり、1620(元和6)年6月30日の夜、秀宗の意をうけた武士たちが公頼の邸を襲い、公頼をはじめ、19歳になる二男治部、14歳の三男丹治は刃に倒れ、9歳になる四男の美濃は井戸に投げこまれ、命を落としたと伝えられています。山家邸は今の和霊神社の地となっています。
公頼に日頃から好意を寄せていた人たちによって、遺骸はひそかに、ここ金剛山西の谷に葬られました。後に秀宗も冤罪であったことを認めています。






【道の駅 きさいや広場】

【喜久福】
お土産は、姉妹都市仙台市の有名な生クリーム大福です。とっても美味しい。

【御朱印】

愛媛県宇和島市に鎮座する和霊神社さんにお参りしました。
今回、宇和島に立ち寄るにあたって、和霊神社さんは外せないな!と思っていたので、お参りできてよかったです。
<主祭神>
山家清兵衛公頼命
<配神>
山家治郎命(清兵衛次男)
山家丹治命(清兵衛三男)
山家美濃命(清兵衛四男)
塩谷内匠命(家従)
塩谷帯刀命(内匠長男)
塩谷勘太郎命(内匠次男)
山家公頼とその息子たちをお祀りしている神社です。
元和6年6月29日の和霊騒動にて殺害された山家公頼の御霊を鎮めるために創建されたとのこと。
以下、詳しい御由緒は和霊神社HPより
当和霊神社は宇和島藩祖伊達秀宗の家老山家清兵衛公頼公の御霊をお祀りしております。
祭神清兵衛公は仙台伊達政宗の長子秀宗が父と共に出陣した関が原の役、大阪冬の陣の戦功により徳川家より宇和島十万石を賜ったおり、父政宗が若輩の秀宗を案じ自身の信頼する清兵衛公をその家老に抜擢し随伴させました。
当時宇和島は相次ぐ戦乱や領主の悪政により疲弊困憊し惨憺たる状態であった中、生来純忠篤実な清兵衛公はよく藩主を補佐し藩費の節約をはじめ租税の軽減、産業の奨励、武備の充実など逐次推進された結果、民生は安定し、藩政は大いに刷新されました。
その結果清兵衛公の徳望は生き神の如く仰がれました。
しかしこの事は却って一部の藩士から妬まれ反感を買い、遂に元和六年六月二十九日夜、彼等一味の兇刃に倒れその生涯を閉じました。
其の後、清兵衛公を敬仰する藩民をはじめ藩主藩士に至るまで清兵衛公の御霊を和め奉らんと小祠を建て崇敬の誠を捧げ、承応二年六月二十三・二十四日に朝廷より承認を経て正式に山頼和霊神社として承祀されました。 爾来霊験あらたかにして神威益々の発展の一途をたどりましたが昭和二十年七月二十八日、宇和島空襲によって社殿全域灰燼に帰しましたが広大無辺のご神徳のもと奉賛会の赤誠により逸早く復興にかかり次々に境内は復興され旧に増す荘厳さと殷賑を極め日本各地の和霊信仰の総本社として尊崇を集めています。

一の鳥居

二の鳥居
大きな鳥居だなと思っていたら、石造りの鳥居としては日本一なんだそうです。
そして、その向こうに見えるのは須賀川に架かる神幸橋(みゆきばし)



神幸橋手前には立派な灯籠

緩やかな太鼓橋になっています

橋を渡るといよいよ神門です


神門内でふと左上を見上げると・・・お多福

お多福の向かい側には鼻髙面

手水舎

さて、石段をのぼって拝殿に向かいます

かっこいい拝殿。
昭和20年の空襲で焼失してしまったそうで、現在の拝殿は昭和26年に建てられたもの。

拝殿内

拝殿の片隅には牛鬼

本殿

迫力ある龍が描かれています

若宮神社

神輿庫




御神木
樹齢450年以上の大銀杏です

神馬社

御井神社

山本神社

竃神社


三島神社


行ってみたかった神社のひとつ、和霊神社に春参拝しました
篠つく雨の中、濡れる境内はまた独特な雰囲気がありました
平日で雨なこともあって参拝者は他にほとんどなくゆっくり見てまわれました
近くの多賀神社に参拝したあと、雨が上がり晴れてきたので再び和霊神社に戻り、太鼓橋や神門を今一度眺めました

この日の御朱印は書き置きでした

日本一の大きさの石造りの鳥居です
これは二の鳥居で一の鳥居は道路を挟んだ向こう側の公園内にあります
この日は公園内が工事中でした

神幸橋と呼ばれる石造りの太鼓橋を渡った先に神門があります

なんとも美しい景観です

神門
左右にはお多福面と鼻高面が掲げられています

御神木の大銀杏です

手水舎です

社殿は石段を上がったところにあります

精悍な体躯の狛犬です
狛犬に夢中になり過ぎたのか、社殿の写真を撮り忘れました
狛犬の背後にちらっとだけ写っています

吽形の狛犬

横から見ても素晴らしい狛犬です

神馬像です

境内社の若宮神社です
修復のための寄付を募っていました

境内社の三島神社です

境内社の竈神社です

境内社の山本神社です

境内社の御井神社です

桐箱入りの御守りです

今日は宇和島に宿泊。夕食まで時間があったので、ホテルの向かいの和霊神社へ2度目の参拝。前回は四国遍路の途中であった。
独特な筆使いで描かれた絵馬は茂木ヒデキチ氏の作品。

拝殿

拝殿


本殿

本殿

本殿



若宮神社

神馬社

山本神社

御井神社

竈神社・三島神社

神門

神門


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