みしまだいみょうじんじんじゃ
三島大明神社の編集履歴
ご由緒
旧郷社、長師字姫ヶ原鎮座、大山積 命・高竈龍神・須佐男命・応神天皇・神功皇后・大国主命を祭り、大祭は10月第1日曜日である。
境内末社に荒神社・蛭子社・厳島社があり、なお鎧掛松のところに源義経と河野通信とを合祀している。
創建は不詳であるが、古くから高竈神(水神)を祭り島内における雨乞いの神社であった。
忽那島開発記によると、寿永2(1183)年8月22日地頭藤原兼平が大三島の大山積を勧請して、社殿を造営し三島大明神宮と称したとある。
文治元年(1185)3月源義経が壇ノ浦への出撃にあたり、当社の境内一帯へ陣営を張ったと伝えられる。通信が凱旋の後当社へ神田を寄進して以来、河野氏から保護を受けた。
忽那島開発記によると、応永26(1419)年河野通久から神田安堵状が社職溝田中務に与えられている。また長禄3(1459)年6月1日長師沼の神田1町歩における諸税免除を河野通生より社人杉野六太夫・桑原久太夫・溝田高太夫ら3名に申し渡されている。水軍を構成した豪族の尊崇が厚かったのであろう。
当社は風早島(中島)の雨乞いの総社とされた。今に残る棟札に記された銘文には、元禄6(1693)年満水祈願成就のため社殿が再建されたとある。正徳3(1713)年降雨祈願成就のため風早島11ヶ村から鳥居一基が寄進された。浜辺に現存の鳥居がこのときのものである。
享保8(1723)年満水立願成就によって神号額(本殿正面)が奉納された。また、宝暦7(1757)年・弘化3(1846)年に当島代官所からの奉納などの記事がある。
明治4(1871)年12月三島大明神社と改号、翌5年郷社となる。昭和40年本殿周囲の瑞垣を改造した
行事
10月第1日曜日 例祭