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うさはちまんじんじゃ

宇佐八幡神社の御由緒・歴史
愛媛県 光洋台駅

ご祭神足仲彦命(たらしなかつひこのみこと)
誉田別命(ほむだわけのみこと)
気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
天照皇大神(あまてらすすめおほかみ)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
創建時代延暦23年
ご由緒

 往昔、阿和寝の浜の阿和意坂に日女宮の古社があった。延暦23年6月17日安芸厳島から三女神を勧請し合祀した。国守河野権守が国中へ十四社を勧請した一社で、延長元年8月15日奉勅によって河野伊予守が豊前宇佐八幡宮を勧請した十八社のうちの一社でもある。
 天慶年中に河野好方が祈願して神護を得、藤原純友を討って奉幣し、治承年中には河野通孝、通員が諸将を率いて参籠して戦捷を祈願したが、河野通清は奴入道西寂のために粟井坂にて戦死したので、天暦年中河野四郎通信は祈願の末、西寂を始め平氏の党を討ち、亡父の怨魂を慰めたので道後七郡の守護に補された。
 後、文治5年に当社を磯河内宮の鼻に遷し、粟井明神と称して神田を献じ、粟井、五明二郷二十五ヶ村の総氏神と定めた。
 後、現在の地に遷し、宇佐八幡宮と称した。松山城主の参勤交代には奉幣があり、宝暦年中には風早郡祈願所となり、藩費を以って祭事を執行した。

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